ただ書きたいだけ

最終更新:2023年6月
転載、まとめ、アーカイブ、その他それらに類するもの禁止。
ボタンを押すとJavaScriptで文章の一部を表示/非表示。
Copyright © All Rights Reserved.

ただ書きたいだけ

 一体私は何をしているのだろう。思えば私は子供の頃から文章を書くのが苦手だった。読書感想文もいつまでも白紙のまま、何も書けずずっと紙と睨めっこをしていた。
 正確に言えば書きたい事など何もなかったのだ。ただ学校という場において理不尽な命令により読まされ、書かされているだけなので何も思うことはなかった。無理にでも書くなら下らない命令に従いたくない、という事が書きたかったのかもしれない。

 以前、ある作家が自分の文章が試験に使われて、「この時の作者の気持ちを述べよ」という問が出されたと知った時、「この答えは間違っている。締め切に追われてヒーヒー言いながら書いた、が正解だ」と言った、という様な話(かなり昔なので正確ではないと思う)を聞いたことがあり、私は強く納得した覚えがある。勿論そんなことを答案用紙に描いてもバツを食らうだけだろうが、結局の所本当の事など書けず、相手の想定した範囲内の「正しい回答」とやらに従わねばならぬ事が嫌だったのかもしれない。その範囲内で書きたい事など何も浮かばなかったのだ。

 それともう一つ重要な事は、文章で本当に感動した事がない事だと思う。今までの人生で多種多様な文に触れてきたはずだがその様に思った事はなかった。音楽で重要な事はまず良く聞くことだと誰かが言っていた。よく聞きたいと思うのは音楽に感動し興味をひかれるからだ。私は言葉の表現においてそれがない。むしろ、言葉というものをうまく扱えなかった為にそれらに拒絶されたという感覚すらある。ついでに演技、芝居にも同様に感動した事がなく、故に興味が持てず、芝居が上手い、下手とかいうのもわからないのだが、それは言語的表現=記号的表現を体現したのが演技だからなのではと考えたことがある。

 そんな私がなぜか今こうして文章を書いている。一体なぜなのか。書くにしてもわざわざ公開する理由は何だろうか。自分でもはっきりわからない。書く事が苦手だからこそむしろ何かを書く事に憧れているのだろうか。そもそもこんな個人サイトが誰かに読まれることすら稀であろう。誰かと意見を交換したり何かを共有したいと思っているのだろうか。単に寂しいのか、自己満足なのか。どれも違う気がする。公開するのはちょっとした緊張感が欲しいだけなのかもしれない。誰かに読まれるかもしれないという事がちゃんと書かないとと思わせてくれるのだと思う。

 はっきりしているのは書くという行為に何かしらの面白みを感じているという事だ(まぁ実際にはキーボードを打っているので書いていないが)。書く事で何が分かっていて何が分かってないかが分かるし、自分の考えが整理される事に面白みを得ているのだと思う。つまりは書く事に重きがあるわけではなく、書く事によってより深く考え、分かりたいと思っているのだと思う。と言っても大した事を書きたいわけじゃない。世間様に、ましてや世界中に言いたい事がある訳でもない。ほとんどはどうでもいい趣味の事になるだろうし、愚痴のような事ばかり書く気もする(かといって日記を書きたい訳ではないし、ブログを、ましてやSNSがやりたいわけではない)。そんなに長く続かないかもしれないし、この通り酷い文章しか書くことが出来ないのだから何度も書き直したりするだろうし、明日にはこの文章も全く違う物に入れ替わっているかもしれないし、サイト毎消えてるかもしれない。でも、どうなるか分からないからこそ、何かをしたいのかもしれない。要するに、ただ書きたいだけなのである。

感情移入と自分の位置 - キャラクリ、VRに興味を持てない理由

 あるゲームのレビュー記事で、感情移入出来ないゲームが多くて不満だったが、このゲームはそれが出来るとして評価されていた。その時、私はゲームに対して感情移入をすることを全く評価せず、そもそも移入したいとも思わず、それどころか感情移入しない事こそがゲームであるとまで思った。今回はその事を考えてみたいと思う。

私はマリオではない

 まず、ゲームというからには操作しているプレイヤーがいる事になる。ほぼ操作しない放置ゲーとか、オートで進むような物もあるが、それらは操作していない時間が多いというだけで、ゲームを始めたり終わるのはユーザーの操作があってからこそであるので、やはりここで語っている「ビデオゲーム」には必ずプレイヤーがいる。この事実はどうやっても変わらない。
 一方、感情移入をググるとトップに「自分の感情や精神を他の人や自然、芸術作品などに投射することで、それらと自分との融合を感じる意識作用」と出てきた。
 一つの例え話をすると、極めて当たり前の話だが、車を運転するには運転手がいる。それと同時に、この事実は「車=運転手」では無い事を自明のものとしている。車は車を運転できないし、運転手は車ではない。同じように「ゲーム=プレイヤー」ではない。つまりゲームをプレイしている私はゲームそのものではない。私はマリオになっている訳では無く、マリオになりたい訳でも無く、マリオを操作している人になり、それが楽しいからその操作を、つまりゲームをプレイしている。はっきり言えば、あんな変なカメ一族と実際に戦うのは嫌だし、飛んだり落ちたり死んだり巨大化したり危ない生活をキノコ王国とやらでしたいとも思わない。あくまでゲームをプレイする事によって、現実の私が楽しくなるのであってゲーム内に入ることが楽しいのではないし、現実がつまらないがゲーム内なら楽しいというのはありえないし、そうしたいとも思わない。私は、ゲームをプレイしている私として存在し、また存在したいのであって、ゲーム内に入りたいわけでも、ゲームキャラになりたいわけでもないし、当然感情移入することもない。操作する側である時点でそれらは明確に分かれるので、感情移入しない事がゲームであるとすら思うのである。何かを上手く操作する様子を「手足のように操る」等と表現したりするが、それは感情移入とは違うものだ。

それはゲームではない

 その一方で冒頭に挙げたように、感情移入を重要視する人もいる。この違いはどうして生まれるのであろうか?
 ゲームが3D化し、それはつまり現実を描写できるようになり、つまり映画を再現できるようになってから、操作する事の意味をとことん減らし、映画のように見ているだけ、あるいは誰が操作しても大して変わらない作品が増え、今現在メジャーなゲームの殆どがそういう作品になっている。つまり2Dから3Dの変化は「操作」から「体験」へゲームから得られる物がすり替わって行った事を意味する。操作に重きを置かない事で難易度、参入のハードルが低下し、ユーザー層を拡げる事が出来るのも、その方向性への偏りに拍車をかけていると思う。こういった作品にとっては操作によって楽しませようとするのではなく、映画のように登場人物に感情移入する事が重要になっていくのだと思う。殆ど意味のない操作しかないゲームがあったとしても、自分が動かしている事には変わらないので、その事によって「操作しているキャラクター=プレイヤー」というゲームの構造を映画においての感情移入をより強く感じさせる為の装置として借用している様に見える。だからこそ、私はそういった作品を「ゲームもどき」のように感じてしまうのだろう。
 以前、ラジオ番組のマイゲーム・マイライフで、司会の宇多丸さんが、マリオの様な2Dアクションゲームを指して「あのキャラクターが自分だとは思えない」と大変興味深い事を言っていたのを思い出す。宇多丸さんは年齢的にはファミコン以前のゲーセン世代からゲームを楽しんでいるはずだが、「あんなものがあったらダメになってしまう」としてファミコンには触れずプレステ以降の3D化したゲームから入ったそうだ。そして映画評論をやる位に映画好きで、洋ゲー好きでもある。彼の発言は、プレイヤーキャラと自分を同化することが当たり前であるという考えに基づくものだ。だが、私に言わせれば、そもそもキャラを自分だと思って欲しいと考えて作られていない。つまりこれは、日本と欧米、2Dと3D、ゲームと映画に対する考え方の違いがそのまま出たのだと思う。

それは私ではない

 私は以上のような志向なので、それは他の部分にも表れる。例えば、色んなゲームにあるキャラクタークリエイト(以下、キャラクリ)においても自分そっくりに作るなんてことは当然ない。そもそも殆どのゲームのキャラクリがゲームプレイに影響しないし、単純に面倒というのもあり、最近はデフォルトを少しいじる位しかしない(髪型とか。大概その世界に相応しくないプレイヤーキャラだけの特殊髪形をしているので)。ちなみに宇多丸さんは、同ラジオ内で「キャラクリは自分に寄せて作る」と発言する事が多い。
 同様に、VRにも技術的には凄いと思うし、アトラクションとして楽しめる物だとは思うが、本質的に興味が持てない。VRは映像技術の延長にあるものではなく、体験の延長、つまり実際にバーチャルな世界に入る物であると思う。繰り返しになるが、別世界に行きたいわけではなく、私はゲームをプレイしている人として楽しくなりたいのであって、中に入りたいのではない。中に入ったら「操作=ゲーム」ができない。

これが私

 以上、私がゲームにおいて感情移入を重要視してない事を、同時にキャラクリやVRに興味が持てない事をまとめた。結局は考え方の違いの話であり、当然良い悪いの話ではない。でも、今回のように違う考えの人に触れるのは、改めて自分の考えをまとめるきっかけになるしとても面白いと思う。

形作られる自分 - SNSとゲーミフィケーション

 SNS。私の単なる感なのだが、この手の物に面白さと同時に怖さを感じる。だからあえて近づかないし、興味を持っている人物がSNSを始めたとしても、最初だけチラ見して基本的に避けてきた。だが、実際に使わずにあれこれ言うのも違うかと思い、twitterを使ってみたり、他人の物を覗いてみる事にした。

中毒性

 まずは予想通り、その中毒性をとても感じた。明確に自覚し、気を付けていてもいつの間にかかなりの時間が経過していたりする。それでいて得た物はあるのかと自問してみても何もない。そう思うのに、また見てしまったりする。多数の人と脳を直に繋げたかの様な、膨大な生の意識の嵐に巻き込まれるあの感覚はとても耐えがたいと同時に、寂しい人間にとってはとてつもない魅力になるのだと思う。人の心が読めたらあんな感じになるのではと考える。それは同時に自分の心を読まれるという事でもある。直につながるゆえに批判も称賛も強烈にやって来る。なぜこんな酷い事を書くのかと嘆いている人を複数見たが、仕組み上むしろそうならない事の方がおかしい。そんな発言をしていてもなお、辞めるという選択肢を取らない事の恐ろしさを感じる。フォロワーという明確な数値化による自己肯定感が、そこから離れ難くするのだろうか。どんなにひどい目にあってもやめられないというのは依存その物だろう。

 使わないのが一番良いと思うが、それに対してはどういう理由か強く反論してくる。共通するのは、悪いのは相手なので自分が何かするのはおかしいという物だが、確かに相手が悪いし、そういった人が居なくなった方が良いだろうが0にはできない。自衛する事は悪い事でもないし恥ずかしい事でもない。悪いのは泥棒だから家に鍵をかけないし戸締りもしないという人はいないだろう。間に人やフィルターを入れるとか限られた人だけ見れるようにするなどの対策は取らないどころか、自らエゴサーチして批判を見に行っている様子さえうかがえる。批判が直接本人に届くという状況を改善するだけでかなり減らせると思うが何故しないのだろう。結局の所、本当は大して傷付いていないのではないか。本当につらいのなら見ないのではなく見れない。(仕事などでやめたくてもやめられない人はいるだろうが)本当につらい人はいないので、そういう人ばかりの意見に、つまり強者の論理になるのではないだろうか。

使いにくさの理由

 自分で使ってみての最初の感想は、驚くほどに使い辛いという事だった。制限だらけで、融通が利かず、扱いづらく、見難い。だがサービス開始から時間が経過し、多くの知見が集まっていて、さらにこの手のIT企業は相当に頭のいい人達が集まっている中でこんな稚拙な事が起きるはずは無い。つまり、これはやらせたい事、やらせたくない事を操作する為の意図的な仕組みであると考えられる。文脈を破壊し、縮小し、言葉をゴミ化する事で、発言するハードルを極限まで低くし、多量に使わせる為のデザインなのだ。何かを発表、議論、交流する事には全く不向きな場を形成している。その多量のゴミは互いに連鎖し永続性を生み、フォロー/フォロワーという緩い報酬によって閲覧者を依存させる事にはとても注力されている。

 さらにこの仕組みは、同じ志向の者同士ばかりを集め、非常に先鋭化しやすい傾向を生む。潔癖症の如く同調しない者は徹底的に叩かれ、0か1しか存在しない空気を醸成する。このネット潔癖症と呼びたくなる症状は、今や色んな所に広がっていると思う。コンピューターは0か1しかないビットで出来ている世界なのでそうなるのは必然なのだろうか。デジタルな世界では全てがログに残りいつでも見れる。つまりは監視できるし、できる事はしてしまう。その事が互いに監視、管理しあう窮屈な潔癖症を生み出しているのかもしれない。またその極端の塊の中では、現実から目を背け認知が歪んでいても同類に取り囲まれているので気付く事が出来ない。さらに、そういった人達にかけられる言葉は酷く、結局、言う側言われる側、双方とも偏っていて、切り捨てていて、分断を生み、それらを強化しているだけに過ぎない。そして最終的には肥大化した先鋭集団同士がぶつかり誹謗中傷の応酬が繰り返される。勿論これも設計者の想定済みの結果であると思う。SNSは、ゴミ化した言葉を大量に吐かせ、先鋭化を促し、分断を生み、ヘイトを煽り、それらをエンタメ化して金を儲ける物であると思う。そして恐らくこれらの仕組みはゲームから多大な影響を受けていると思う。ゲームで培われた技術を他業種に転用するゲーミフィケーションの悪い使い方の一例だと思う。

 実際の例としてMeta(旧Facebook)は儲けるために、怒りを増幅するコンテンツを優先して表示していた。また、大統領選挙やブレグジットにも影響を与えた問題もある。

型にハマる人々

 いわゆる炎上というものも幾つか見た。全てのパターンでは勿論ないが、多いの実際にはパブリック/公での活動なのにプライベート/個人としてSNSを使う事だと思う。まるで友達に話すように、飲み屋で管を巻くように発言し炎上する。限られている範囲で通用する事と公で通用する事は違う。投稿する時にUIや画面からはそれが全世界に発表するとても大きな事をしている感覚は一切ないだろう。きわめて個人的な事をつい書かせてしまう様にとてもうまく仕組まれていると思う。

 さらにこの仕組みに自ら最適化する人も見た。それは徹底的に自分を出さず、リツイートのみ並べて、自分に関する間違った情報のみに対して指摘するというやり方。リツイートにも当然意図はあるはずだが、自分の発言ではないから、ただリツイートしただけだからといつでも逃げられる状態にしている。また本来ならそういった態度は単なる晒し行為として批判されるはずだが、元々そういう仕組みがあるので通常の使用法とみなされ問題にされない。自分を隠し徹底的な後だしをする事によってボロを出さない。また、どうしても自分の意見を言う時は有料の会員限定の場においてのみする。またそうすることで有料の場へ誘う要因にもなるので、商売としてとても上手い。こういった使い方が最も被害が少なく利益が大きいのであろう。

 また、別の最適化も見た。それは具体的なワードを避けて何の事を言っているかは分かる人だけ分かるような書き方をする。または何かの記事やツイートを引用し、それとは関係ない体を装う為にあえて分割してに発言したりする。それは検索によって発見され晒される事を回避しつつ、言いたい事を言う為だろう。気持ちとしては多少理解できるが、そもそも意見を広めたいからそこに書くわけで何とも矛盾した考えだ。言いたいけど炎上したり変な人に見つかりたくはない。悪目立ちしたくない。その為に言葉はどんどん歪んでいく。また、その一方でそういう発言を抽出するツールもある。ここまで来ると何の為にやってるのか分からなくならないのだろうか。

 芸能人や有名人までもが一般人と同じ土俵で発言する事に疑問を持つ。自らステージを下りてどうするのだろう。自分を晒し、ステージに立って、スポットライトを浴びる場で芸を披露するのが仕事なのではないだろうか。無料で、誰でも参加できる場に降りて来る必要などない。わざわざ書くのも馬鹿らしいが、金を払う客だけを相手にするというのは、当たり前の行為であり、おかしな事ではない。ラーメン屋が客だけでなく、店にも来ない金も払わない人も含めて全ての人にラーメンを配り、嫌なことを言われたとか金にならないとか言っているくらい意味不明な行為だ。そのうえ、店に来て金を払った客の感想には対応せず、たまに現れる客では無い者とは激しい論争をしたり、つまり真剣な対応をする。これは真の客に対する裏切りであり、失礼な行為でしかない。トレンドに敏感であるはずの芸能人はなぜ一言「あんなダサい物はやらない」と言わないのだろう。むしろSNSの中で如何に人気を取るかを目指し最適化しようとしている。

 2ちゃんねるよりはましという意見を見て驚いた。個別の書き込みのみを比較すれば当然そういう事もあるだろうが、仕組みで言えば桁違いにtwitterの方が酷い。単純に個人への負荷が図り切れないほど高いのだ。書き捨てる事が出来る掲示板と逃げ場がないSNSでは比較するのも間違いだ。もちろん芸能人などの有名人にとっては逃げ場がないのでどちらも酷いだろう。
 少し前までは、個人に執着し監視したり指図したりするのを「粘着」と言っていた。また同様に個人に執着し、それを他人にも広めて、同様に監視、攻撃せよと呼びかけるような事を「さらし行為」と呼んだ。どちらも批判対象だったはずだが粘着はフォローに、さらしはリツイートに姿を変え、暴力性を隠蔽し元々仕組みとして実装されている。つまり使用した時点でそれに同意したとみなされ、全く批判されない行為になっている。SNS空間がとても窮屈で息苦しいのは相互に負荷が高い監視、密告が常態化している事にあると思う。

形作られた結果

 SNS上では本来人付き合いでは当然ある礼儀が無い。礼儀は仲良くなる為ではなく、他人との距離を適切に取る為の物だ。近づき過ぎず、かといって離れ過ぎて無視する訳では無い。これを無くす事によって人間関係さえも便利にしようという考えこういったツールの根底にあり、同時に生み出される理由なのかもしれない。だが、どんなに世の中が進んでも人間自身は何も変わらず便利になる事は無い。つまりそんな方法でまともな人間関係が結べる訳が無いのだ。
 誰とでも簡単につながれる結果、SNSには場というものが存在しない。場をわきまえるという言葉があるが場が存在しない(場しかないともいえるが)のでどういった発言もふさわしくないものになる。本来閉じられた空間のみでしか存在しえないはずだった言葉が、一瞬で世界に拡散される事によって、必ず誰かにとって不快で不適切な発言になってしまう。常に炎上し対立を生む構造の結果だ。

 断捨離と言う言葉があるが、現代において一番捨てるべきなのは情報なのではないだろうか。本当にこれは自分にとって必要なのか、拡散されている物のほとんどは自分にとって関係ない揉め事や金の話で、複雑なものを乱暴に単純化して釣ろうとしてくる。そうと知りつつ、どうでもいい揉め事をまた見てしまったりする。誰かを叩く事で数字を取ろうとするワイドショーを見てる人達を少しも批判できない。SNSは、人から黙るとか、関わらないとか、距離を取るといったものを取り上げ、余計な事をさせるためのツールであり、その余計な事が金やデータになり、それらもまた搾り取られる。取り上げられる人と取る人は明確に分かれていて移動はほぼない。あの場に居続けられるのは、ある意味強い(と言っていいのか)人だけだと思う。

 型にハマり、先鋭化し、認知が歪んだ人達が救われるには何が必要なのだろうか。彼らが特徴的なのは双方とも自説を声高に主張するのみで交流が一切ない事だ。本当は話を聞いてほしい人なのではと思う。助けられている人に腹が立つのは自分が助けてもらえない、助けてと言えない状態からだと思う。正論や、事実、科学では救えないと思う。そして重要な事は、こんな事をこんな場で書いている自分もそういった人間ではないという確証はない事だ。寂しさがはまる要因の一つなのでは先に書いたが、そんな人は幾らでもいるという事でもある。

 SNS上などでの誹謗中傷を法律で規制するらしい。確かに誹謗中傷は問題だが、法律で規制すると問題の無い表現が規制されたり、時代に即さなかったり、悪用されたり色んな問題をはらむと思う。プラットフォーム側が自主的に規制するのが良いと思う。グロ―バルな企業のプラットフォームビジネスは皆そうだが、本来負わなければいけない責任を、自己責任という名の責任転嫁によりユーザーに負わせ、そのリスクやコストを浮かせる事により金儲けをしている。巨大なプラットフォームを運営する事は巨大な力を生むが同時に責任も生まれ、それを負えないなら力を持ってはいけないと思う。と、正論めいたことを言っても意味がないのは分かっている。そもそも、それをやらないのは、誹謗中傷もまた金儲けの一部であると彼らは自覚しているからだ。

 話が少し変わるが、アカウント作成時に自動化違反という理由で直ぐにアカウント停止をされた。問い合わせをしたら機械的な自動判定をしている為に間違える事があるのだという。自動化違反という言葉を逆に返したくなる話だが、これはつまり人間ではなく機械が主導になっている事を表している。AIに仕事が奪われるとか聞くが、この例だけでなく、今現在の時点で機械に使われている事、仕組みに取り込まれる事など世の中に幾らでもあると思う。恐ろしいのは、余りに世の中にそれら広まり過ぎると使わないという選択肢が取れない事だ。むしろ当たり前過ぎてこんな事に疑問を持つ事自体が不思議と思われるだろう。人間関係を便利に扱おうとした結果、自分の操作できない範囲まで広がってしまい、誰もそれを止める事が出来ない状態になってしまっているのだ。結局の所、SNSは人間のコミュニケーションを大いに変質させるものだと思う。私が最初に書いた恐怖はこの仕組みによって人が形作られてしまう事、自らそれを喜んでしてしまう事、そしてそれらは洗脳といってもいい様なゲーミフィケーションの悪い使い方である事から来てるのだと思う。

問題はどこから - 結局いつものFrom Software

 PC版Dark Souls(以下、DS)1~3のサーバーが2022年1月23日から止まっている。これは突然湧いてきたハッカーの仕業ではなく、前からあった問題を放置し続けた結果起きた事である。

バグとチートの宝庫

 サーバー停止の原因となったRCE問題の前にDS3がどういう状態にあったかを語らねばならない。
 DS3はチーター天国と言っていい程にチートが広まっていた。またバグを利用した技も蔓延し、それらを使うもの知る者と、そうでない者との差に大きな違いを生んでいた。その中でもっとも有名なバグ技はエストキャンセル(通称エスキャン)で、回復の隙をキャンセルし、一瞬で回復動作を終える事によって、どんなに追い詰められても負けない状況を作り出せる、対人戦でのバランスを崩壊する技だ。ゲーム後半の対戦が多いエリアではこのバグ技を使わない人の方が少ないレベルで蔓延していた。他にも色んなバグ技があるが挙げていくときりがないほど多いのでこれだけにする。
 チートの中でもっとも有名で、かつ最も酷いのが通常プレイでは手に入らない不正なアイテムを他プレイヤーに強制的に入手させ、その事によってゲーム側の不正検知システムに感知させてBANさせる、つまりオンラインプレイが出来なくなるチートだ。本来ある不正検知システムを逆利用したチートで、オンライン上のブラックリストに載るのか仕組みは分からないが、セーブデータを削除しようが元に戻すことができない。バグ同様、様々なチートがあり、数が多くてきりがないのでこれ以上は挙げない。

 これらバグやチートは当然ながら相当数の被害者を生み、彼らは相当数の報告を開発会社に送ったはずだ。なにせ世界的に売れているタイトルで、発売後しばらくしてもかなりの人数が遊んでいたからだ。それら膨大な数の報告を開発・販売会社は数年にわたり完全に無視した。その結果チーターは増長し、先ほどのBANチートにゲーム進行をリセットし最初からプレイさせるチートと篝火を使用できなくなるチートも足した。未プレイの人の為に書くと、篝火はワープ装置を兼ねる拠点でこれが使えないとゲームが続行不可になる。BANされてオンラインプレイ不能に、ゲームは最初から、オフラインでもプレイ不可になる。この3つのデータ破壊チートが同時に一瞬で起こる。セーブデータを全削除すればゲームはできるがBANは解除されない。このチートは広く蔓延し、どこのDS3のコミュニティを見ても注意を呼びかける警告と、被害者の悲痛な叫びを見る位に広まった。これに関しても相当数の報告があっただろうが開発会社は対応せず、BANされた人も戻ってこなかった(海外メディアによると途中からBANを行わないようにしたという話もあるが、実際の所は分からない)。
 こうしてDS3はバグとチートの宝庫になり、オンラインでのプレイはもはやゲームが成り立たなくなっていた。そして私もそのバグ、チートの被害者であり報告者の一人である。

ずさんな対応

 報告をした時の対応は今でも忘れない。できるなら全文を載せたい所だが口外禁止だそうだ。対応を一言でいえば「曖昧な態度で逃げようとする」である。問題に対して対応するともしないともはっきりしない回答を続け、とにかく早くこのやり取りを終わらせようとし、こちらからの質問や提案は一切無視し、テンプレート的な回答も多かった。それはまるで官僚の答弁のような何とも言えない独特の欺瞞に満ちた文章であった。何度かやりとりをしたが、毎回唖然とする回答になってない滅茶苦茶な返答をされた。これが世界的に売れているゲーム会社のサポートなのかと心底驚き、自分達が販売してる物に起きている問題に向き合わず見て見ぬふりをして逃げようとする態度に心底落胆した。最終的に、一方的にもう対応しないという返答を送りつけられ、それきりになってしまった。結局何も解決、進展しておらず、チーターに破壊されたデータがそのまま残っているだけである。これを機に私はこのゲームをプレイするのをやめた。

 このような状態を見かねた海外のmod製作者LukeYuiは「blue sentinel」というmodを作った。これはセキュリティ的にPCを保護したり、バグやチートを検出するとそのプレイヤーとの接続を切断したり、セーブデータのバックアップを自動で取ったりするアンチチートmodである。この製作者は独自にDS3の問題点を調べ、この時点で後に大問題へと繋がる複数のRCE(リモートコード実行)も発見し開発会社へ報告していたが、私をはじめ多くの人と同様に完全に無視された。そしてこのままではまずいと思って作ったのがこのmodであるとfanbyteのインタビューで語っている(この記事はサーバー停止事件の経緯もしっかり書かれている)。私が見た幾つかの記事の中では2020年(2019という記事もある)には複数の問題を報告していたようだ。無視するときの返答は私がもらったものと同様に「開発に伝えます」だったらしいというredditの投稿もみた。
 つまり、バグやチート、セキュリティ問題を承知していながら無視していたのだ。そしてサーバー停止するまで一切修正されなかった。当然だがプレイヤー全員がこのmodを知っている訳でもないし、modは完璧ではなく、エラーでゲームが落ちる事も多いし、全てを防げるわけでもない。そもそもmod使用は公式には認められていない。DS3のコミュニティでは何度も例のチート被害者の報告を見た。

SERVER DIED

 そんな中新作のElden Ring(以下、ER)の発売が近づきネットワークテストが始まった。新作と言ってもDS4と言って差支えがないくらい同じエンジンの流用作なので、DSの問題が引き継がれているという疑問を誰もが持ったあろう。そして案の定、エスキャン(ERでは聖杯だが)ができるとの報告が多数挙がったのだ。膨大に来たであろう修正願いを無視し続けたのは、今更過去作にコストをかけたくないからなのではと思った人は沢山いただろう。そこまで余裕がある会社ではないので仕方がない、そうやって納得をさせてきた人も多いだろう。だが新作において過去の失敗の反省は全く生かされておらず、エスキャン以外にも複数のバグがそのまま残っていたのだ。つまり仕方なく無視したのではなく、本当に全く完全に聞いていなかったことになる。

 唖然としたであろう人物は他にもいた。前述のmod製作者LukeYuiではない別の人物nrssrは、今までとは違う、そしてもっと驚異的なRCEの問題をDS3で発見した。それはつまりERでもその問題が引き継がれていることを危惧したこの人物は開発会社にそのことを報告したが相変わらず無視しされ続けた。そしてこのままではERが大変な事になってしまうと思ったnrssrはストリーマーの配信中にそれを実行して見せるという行動に出たのだ。そしてやっと会社は問題に向き合いDS1~3のサーバーを停止した。
 なぜ今まで無視し続けたのに今回は対応したのかというと、大々的にこの問題が有名になった為もあるだろうが、単にERの売り上げに影響が出るからであろう。DS3の問題なのにERを心配したり、DS1,2のサーバーも止まったのは同じエンジンを使い続けている事の証左である。先のfanbyteによれば初期作のDemon's Soulsにも同じ問題があると書かれているので最初から変わっていないという事である。

 サーバー停止時にDS3の開発環境がすでに無い事も発表された。これは時間がかなりかかる理由とした書いたのだろうが、それは私をはじめ数多くの人が報告した時に既に開発環境は無かった事を意味する。オンラインサービスが続いている中で、何か問題が起きた時にすぐに対応できる準備を怠っていた事だけでも驚くが、同時に何が起きても修正する気などハナからなかったという事にも驚く。当然サポートとのやり取りでこの事は教えてもらってない。直す気がさらさらないのに、何か対応するような曖昧な態度で逃げようとしていたのである。端的に言って嘘をつかれていた訳だ。
 そしていざERが発売されると、すぐにチーターが蔓延しだした。先のmod製作者、LukeYuiは同じエンジンを流用しているのでDS3のチートをERに持ってくるのに5分とかからないとVGCで発言していたがその通りになった(この記事も経緯が良くまとめられている)。そして、DS3で多数の被害者を出した不正検知逆利用チートがERでも流行りだしたのだ。ネットワークテストでは無く、本サービスが開始されているのに、バグと同様全く報告を聞いてなかったのだ。今作から導入された、頼みの綱のEAC(Easy Anti-Cheat)も機能しているとは思えない。

問題はそこから

 DS1~3のサーバーは今現在も止まったままだ。ERに集中しているだろうからDSに手を付けるのは相当先だろう。RCEを修正した所で大量のバグやチートの問題は残る。それらもついでに修正するのだろうか。チート被害によりプレイ続行不可になる人が大量に出た訳だがそれらの人の為の救済策を取るのだろうか。DS1/2は2種類存在し、1のリマスター版は別会社が作ったものであり、もう一つの旧DS1はすぐにサーバー停止されなかったことを考えると管理すらしてなかったのではと疑う。そもそもDS1,2はプレイヤー数がかなり少ないので、最悪サービス終了になってもおかしくない。
 さらに、当然だがチートやセキュリティ問題は一度対応したら終わりではない。今現在のERがそうであるように常に問題を監視し修正を継続的に行っていく必要がある。これら全ての問題を修正して、さらにサポートを続けていく体制を整えてサーバー復活というのは膨大なコストだろう。報告された時点で修正していれば最低限のコストで済んだはずだ。
 この一連の対応がとても残念だ。バグやチート、セキュリティ問題を全部を見つけ出し対応するのは難しい、というかそんなことは無理だろう。ましてや発売から時間もたっている。だがその事が問題なのではない。問題はそれをずっと無視して放置し続けた事だ。サポートの一社員が勝手にこんな事はできない。つまり開発環境を捨てていた事からもわかるように、会社の方針として問題は無視するという事を決定しなければこんな事にはならなかったのだ。最終的にどうなるかいまだ道さえも見えない状況だ。
 これらの情報は実際に私がサポートとやり取りした物以外は全部海外メディアで得た情報だ。つまり日本のゲームメディアはフロムソフトウェア、及びバンダイナムコの問題について全く報道していない。steam掲示板では今でも「何故サーバーが止まってるんだ?」と聞くユーザーが絶えない。国内メディアや、ユーザー自身の関心の薄さには驚きと同時に悲しさも感じた。好きなゲームについて調べたりしないのだろうか。この関心の薄さも放置体制に拍車をかけた要因の一つであろう。

 しかしながら、この放置体制が問題の本質ではないと私は考える。DS3で起きた問題なのにDSシリーズ全部とERにも影響するのはエンジンを流用し続けているからだというのは上記の通りだ。売れたシリーズなので続編を出すのは普通のことだろうが、近年は今までメインだったアーマードコアシリーズも続編が出ず(まぁ、最終作のACV/ACVDはその後が出なくて当然の出来だったが)その他も一部を除きほぼ同エンジンの流用作しか作っていない。開発環境を既に捨てていた事も上記に書いた通りだ。さらに開発会社のデバッグはアルバイトに任せている事は募集記事からわかっている。ユーザーサポートもアルバイトかどうかは分からなかった。これらから導き出されるのは2つの事だ。「いつものフロム」と余裕が無いという事だ。
 「いつものフロム」というのは旧来からのACファンなら知っているだろうが、劣化コピーを繰り返し前作より作品ごとに酷くなっていくフロムの作風を揶揄した言葉である。上にも書いたばかりだがその結果、続編が何年も出ない(実際売れてない、特に海外が絶望)という状況になっている。ソウルシリーズが世界的に注目されただけで、本質的な会社の体制は何も変わっていないのではないかという予想である。
 もう一つの余裕がないというのは以下のような事だ。私はアニメには詳しくないが有名なアニメの制作会社の脱税事件があったが、その中で語られたことは私利私欲のために脱税したのではなく、業界にある低すぎる予算で作らなければならない慣習から来る不安による脱税であることが語られた(一応書くが、記事内にも注意があるように事件が起きたのは超有名作を公開する前)。この様な事がゲーム業界でもあるのではないだろうか。DS3は累計1000万本、ERは既に1600万本が売れたらしいが実際に開発会社が受け取る金はどれくらいなのだろう。同じエンジンを使いまわし続け、過去作のサポートをすぐに切らなければならないほど追い詰められているのではないだろうか。これらの事が問題の本質ではないかと私は推測している。

 今回の話とは一旦離れるが、あるラジオ番組で興味深い話を聴いた。それはユーザーサポートは開発(本体チーム)に報告をせずにサポートチーム内で問題を解決すると評価が上がる、という事だ。どんな業種のサポートでもこういう事があるのだという。考えてみれば当たり前の話でもある。本体へ報告するという事は面倒ごとが増えるのであるから、本体側からすれば無い方が良い。面倒ごとを本体まで上げてくるというのはマイナス評価につながるというのがより現実的な表現だろうか。
 これに関して思い当たる節がある。余程の事がない限りサポートへ連絡することは無いので実体験の数は少ないが、サポートへ質問した時に、驚くほど自前のサービスについて知識がなく、いい加減な情報で、結局問題は解決しなかったという事がある。自分たちが作ったサービスなのだから担当者に聞けば一発で分かるような質問にも全く答えられない。これに関してずっと疑問がぬぐえなかったが、これで説明が付く。本体に問題を上げてしまうとマイナス評価になる。サポートは大体外注(人件費の安い外国も多いらしい)で、激務で給料も安いそうなので、マイナス評価は何としても避けたい。だからサポート内の乏しい情報だけでなんとか問題を終わらせたいという圧力がかかるのだ。
 これがフロムソフトウェアに当てはまるかどうかは勿論わからないし、調べようもない。だが曖昧な態度、何も教えてくれ無いというより何も知らない様な乏しい知識、とにかく問題を早く終わらせたいと言わんばかりの文章。上記の通り開発に全く知らせた形跡がない事などを考えるとこういう体制になっていても全く不思議ではないと思う。

 以上の記事を書いてから時間が経過し、色々と状況が変わってきた。以下に時系列順で簡単なまとめを記しておく。

 2022/8/25、3のサーバー復旧が発表。予想通りRCEの修正だけでバグやチートの対策、誤BANの救済などはなかった。そうなればLukeYuiにMODのアップデートをしてもらわねば普通に遊ぶことも出来ないが、本人のコメントによれば実生活が忙しくて更新はすぐにできないそうだ。Sream Chartsによる人数も復旧後はまぁまぁ戻ってきたがその後は下降気味で現在はサーバー停止していた時と同じ程度に戻ってしまった。またサーバーの不安定さも報告されており全くマッチングが出来ない時もあるらしい。
 2022/10/25、2の新版のサーバー復旧と、Prepare To Die Editionの終了が発表。2と1はプレイヤー数の少なさからサポート終了する可能性も考えられたが1の旧版だけ終了する用だ。特に1の旧版は販売もされておらずプレイ人数もほぼいなかったので仕方ないだろう。2の旧版もほぼ人がいないが修正する様だ。というか、1と2は2バージョン存在させ続けていたのは今更ながら分かり難い。特に2は販売もしているし、名前も明確にリマスターとか名乗っている訳では無いので余計に分かり難い。
 2022/11/09、1の新版のサーバー復旧
 2022/11/30、2の旧版のサーバー復旧
 2022/12/27、Blue Sentinelがアップデートし、現在のDS3に対応した
 2023/1/12、DS3のアップデートがあったが、公式サイトには何も書かれておらず何が変わったのか分からない。Blue Sentinelは一部を除いてそのまま使えるらしいが、LukeYuiは忙しいのか呆れたのか、Modの開発を他の人に譲ったそうだ。当然見ていないだろうが今までありがとうと言いたい。まさに孤軍奮闘。あなたがいなかったらもっと大変な被害が広がっていただろう。
 2023/5/10、DS1の新版がアップデートされた。今までのRCEやチートではなく、有名なスタッフロールが流れないバグが修正されたらしい。かなり昔から報告されていて、何年放置していたのか分からないが、なぜ急にこれだけ修正したのだろう。直す気があるなら、もっと色々な所を直したり、何よりチート対策もしっかりしてほしい。

ふわふわ印象論 - Steam Deck雑感

 Steam Deckというゲーム機の位置付けがずっと良く分からないままでいた。値段は確かに安いが、OSはWindowsではなくLinuxベースの互換で対応する事や、ストレージの少なさ、バッテリーの不安など、正直なところ私にはあまり魅力的に思えなかった。なにより、初心者向けの製品ではないとも思った。だが、最近になってこういう事なのでは、と思う事が溜まってきたのでそれらをまとめたいと思う。
 Steam DeckはSwitchとよく比較される。なのでまず、Switchから考える必要があると思う。
 Switchは携帯機と据え置き機を合わせたハイブリッド機である。といっても実際はTVにつなげられる携帯機ではある。任天堂機の強みは任天堂のゲームができる事であり、弱みは任天堂のゲーム以外が目立たないことにあると思う。ユーザー層に合っていないのか、ただ単に任天堂が強すぎるのか、サードパーティ作品は常に後ろにいる傾向にある。
 また、いくら任天堂が大きな会社とはいえ作品数に限りはあるし、開発期間は長期化する。つまり、前述のサードの不遇もあり段々と弾不足に陥り、その結果ハードの寿命がそこで終わるというパターンを繰り返してきたと思う。Wiiで大量のカジュアル層を獲得したが、カジュアルな人たちはそれがゆえに熱心なファンにはなってくれず、WiiUで大きく販売数を落とした。カジュアル層はスマホに流れたのだと思う。
 つまりハイブリッドにする事によって、今まで携帯機用、据え置き機用と別れていた開発部門が一つになることにより弾不足を解消し、ハイブリッドであることによって携帯機を好むカジュアル層から据え置き派の中間層までの幅広いターゲットを狙った製品であると言えると思う。同時にライバルのPlay Stationが、携帯機のPS vitaの後継機を出さなかったのもシェア獲得の後押しになったと思う。
 インディーゲームは、はじめはXboxが、つぎにPSが力を入れていた。当初は任天堂はインディーに対してかなり冷たい対応だったと聞く。だが、今最も力を入れているのはSwitchだろう。実際多くの作品が移植されている。それはターゲット層が今までのサードのような重いゲームではなく、インディーのような軽いゲーム(比較的安い、短時間、複雑ではない)が合っている事に気づいたからだと思う。
 以上が、私のSwitchへの印象だが、私自身が長年任天堂から離れている事もあってか、Switchがここまで人気になるとは思わなかった。ハイブリッドは二兎を追う者は一兎をも得ずとなると思ったし、着脱ギミック重視で十字キーを無くしたのも印象がよくなかった。で、結局大外し。なのでこの印象も世間一般的なとらえ方とは全く違うかもしれない。

 Steam Deckが発表されたばかりの頃はSwitchと比較されるのが良く分からなかった。それはPCゲームのプレイヤー層とSwitchのプレイヤー層が全く違うと思ったからだ。
 Steamで売られているゲームはほとんどがインディーである。それがSwitchに移植され、そこでもよく売れている。何ならSwitchの方がよく売れている作品もあると聞く。これはつまりプレイヤー層が違うという前提が違うのではと思うきっかけになった。違わないなら交換可能という事でもある。全くの推測だが、Steamで買わずにSwitchで買うという層がかなりの数いるのではないだろうか。客が流出している事に危機感を感じたのではないだろうか。それが携帯期は日本以外では売れないとか言われているにもかかわらずSteam Deckを販売するに至った要因の一つなのではないだろうか。だがValveは昔からハードを作ろうとしてたし、ハードの開発は何年もかかるだろうから(最近の状況を見てすぐに制作に関われるものではないから)違うかもしれない。

 PCでSteamを使う層とSwitchのユーザー層が被っている、とはどういう事だろうか。PCゲームの魅力として高スペックを挙げる人が多いだろうが、それは少し違うと思う。あくまで複数ある魅力の中の1つに過ぎない。Steamの集計データを見ればわかるが最新のグラボを積んでいる人は少ない。かなりの人がそこそこのスペックで遊んでいるし、そもそもグラボを積んでない人もいる(実際2Dのインディーゲームなどはグラボなしでも全く問題なく動作する)。つまり、スペック差はそれほど重要な事ではないという事だ。
 重要なのは熱量の差ではないかと思う。携帯機というのはいつでも持ち運び気軽に遊び始められる事から熱量はそんなに高く持つ必要がない。逆に熱量が高い人は移動中やちょっとした隙間時間にゲームをするよりも家で腰を据えて遊びたいと思うのではないだろうか。携帯機、据え置き機はそのまま熱量の差によって選ばれるし、同時に熱量の差を生む。
 また、もう一つ重要なのは生活スタイルである。習慣と言ってもいい。TVは簡単に見られる娯楽だがその視聴者は年々減っている。熱量が低くても見れるのになぜ、という疑問は成立せず、今現在において、特定の時間に家にいてTVの前に座り家族等と一緒に視聴するというような生活を送っている人が少ないという事であろう。まぁ、これは日本の話なので海外主流のゲーム機の話としては根拠がとても薄いのだが…。つまり物事に対する熱量と生活スタイルの方が、スペック等よりもよっぽど購買意欲にかかわっているのではないかという私の予想である。

 以上のことから、Steam DeckはValveが今のままではシェアの拡大が狙えない、何なら奪われると考え作られたものだと考える。またそのようにPCゲーマーの層が広がっているともいえる。最新のゲーム機が様々な状況により買い辛い事も広める要因の一つになっているだろう。だが、最初に述べたように(特に互換の部分など)初心者向けではない。単純に新しい物やハードウェアが好きという層や、二台目のPCとして買う層がメインターゲットだと思う。実際にこの製品がどれくらい売れるか、どれくらいのシェアを取るのかはわからない。私の予測や印象などSwitchの時のように大外しする可能性も大いにあるだろう。
 その一方でPlay Stationは自分たちの最大の売りである独占タイトルをPCに販売しだした。Xboxはさらに凄く、Game Passというサブスクでゲーム機、PCでかなりの量のタイトル、しかも独占タイトルをなんと発売日から格安で提供している。両社ともクラウドサービスもある。つまり、どんどんゲーム機を売るというビジネスモデルを捨てて、オンライン上のサービスを主体にしていく方針が見える。これはハード毎による差別化を無くし、ゲーム専用機の魅力を下げていると思う。ゲーム機を捨ててサービス化しようとしているゲーム機の会社と、ゲーム機に近づこうとするPCゲームの会社。とても面白い構図である。

 入力デバイスについて書きたい。実質的にPCゲームで使われるコントローラーはスティック位置が上のXboxタイプが最も多いはずだが、Deckでは左右対称のPSタイプである事だ。いくつもの試作を経てあの形になったようだが、この事について特に誰も気にしていないのだろうか。特に右スティックは右タッチパッドに換えた方が色んなゲームに合っているのではと思うので、あのタッチパッドを含めたコントローラー部分だけ欲しかったりする。Valveが以前出していたSteamコントローラーはやりたい事は分かるが欲しいとは思わなかった。
 PCゲームは基本的にマウスとキーボード(以下、マウキー)でプレイされる。驚くほどに周辺機器は買われず、コントローラーを嫌悪する人すらいる。そしてそれはマウキーに最適化されたゲームが量産されることを意味する。特にストラテジーにそれを感じる。PCよりCSが強い日本で余りこのジャンルが作られないのはそれが原因だと私は予想する。マウキーでプレイするのに一手間いるDeckではそれらのゲームはプレイされ難くなると思われる。通常のPCとDeckでプレイされるゲームにどのような違いが出るのだろうか。かなりざっくりとした情報は公開されているようだ。基本的に人気ゲームが並び、違いは少ないようだが、予想通りマウキー系はプレイされにくい傾向にあるようだ。「Rim World」はコロニー建設ストラテジーだと思うが、マウキーに最適化されてそうな物はこれ位だろうか。実際プレイしたことは無いのでわからないが。

 参考になる記事を見つけたので追記。Steam DeckのSteamOSに関する記事だ。記事を読むと、独占支配を望む物は他人の独占に対して非常に敏感なのだと改めて思う。結局連中は、商売を良い物を作って客に喜んでもらい対価を得る事とは考えておらず、独占し、関所を設け、否が応でもそこを通らないといけない様にして、通行料を取る事だと考えている事が分かる。そもそもインターネットの初期の構想ってもっと分散的に個人が発信する民主的な物だったはず…、などといまだに言っている人はもういない。

正直辛い - Steam新作全チェック

 誰にも頼まれていないし、お金も貰えないのにSteamの新発売ゲームを全てチェックするという苦行を続けている。ストアページをざっと見たりトレーラーを見ているだけとはいえ、我ながら何故こんな事を…と思う。正直辛い。
 新発売チェックなんて、リストをリリース順に並び替えて上から順番に見るだけだろうと思っているだろうが、Steamが「クソサイト」である事を忘れている。実際にはなんだか良く分からない理由でリストが出来ていて、未発売のゲームが並んだり、同じゲームが数日連続で上位に表示されたり、昨日発売したはずのゲームが、今日に発売されたことになっていたり、さらにリストの順番も昨日と違っていたりする。早期アクセスが絡むのかとんでもなく過去(あるいは未来)の物が並んでいたりもする。さらに、数日分を遡って見ていたら、2日分のデータがまるまる表示されないという現象にも出会ったし、ただページを更新したり、ページの移動をしたりするだけで表示内容が変わる事もある。つまりバグまみれなのである。正直辛い。

 この問題は相当前から指摘されており、近日登場リストも同じ問題を抱えていて、以前に修正したとか言っていたが実際はこの有様だ。仕方が無いので「Whats's on Steam」という新作のみ表示するサイトでチェックしていたが、このサイト自体がいい加減な運用で表示が間違っていたり、更新が止まったりするのでSteamに戻らざるをえなかった。正直辛い。
 ちなみにWhats's on Steamの同じ運営者による「Steam Trailers in 6s」というのがある。これはトレーラーを6秒に自動編集して発売順にどんどん紹介していくTwitterである。数を短時間で見るには最適だが、当然情報量が減るし、ストアページから読み取れる雰囲気を無くすのは影響が大きいと思う。ここを見て気になったらストアページを見るという形ならば、正直辛くなく見続けられるかも…しれない。

 実際にどんなゲームが並んでいるのか、ざっとした傾向を書きたいと思う。一番多いのは、どっかで見た様なゲームのフォロワー作品だ。ジャンルはプラットフォーマー、ストラテジー、アドベンチャー、パズル、FPSが多い。一時期はマイクラ風のボクセルが流行ったが今は「Slay The Spire」風のカードゲーが流行りだろうか。ビジュアルノベル、VR、無料プレイもかなり多い(個人的にはVRの多さは意外)。運営会社的にも、市場的にも基本的に英語が多いはずだが、少し前から中国語対応/のみのゲームもかなり増えている。クリスマスやハロウインの時期にはそれに合わせた季節モノも結構発売される。そして理由は分からないが12月は発売数自体が多い。一番目立つのはチープな内容にエロ絵を組み合わせただけのHENTAIゲー(しかも結構売れるらしく、次々と似た様な物が出る…)。他にも、標準アセットを組み合わせただけの物や(それが悪いという意味ではない、それだけで何の工夫もないのが酷いと思う)、説明文が少ない/意味不明な物、トレイラー見てもどんなものか分からない、そもそもトレイラーすら無いといった物や、大規模セール等のイベント中に発売、等々…、売る気が無いのかと思う物がかなりある。共通しているのは低価格という事だろうか。安いから許してニャンッ(ハート)という事なのだろうか(意味不明)。レビューでも「特別面白くもないけど安いから」等と書かれ「おすすめ」がついてしまう。値段と評価を混ぜる人間にレビュアーの資格は無いと言いたい…。正直辛い。

 最近の傾向として無料デモを別ゲームとして登録するのが流行していて、さらに分かり難くなっている。製作側から見れば一本のゲームで複数登録できて露出が増えるという事なのだろうか。無料デモは無料プレイゲームとしてカテゴリ分けされるのでF2Pかと思ったら違ったという誤解を招く。実際本編と勘違いしてデモの方のみウィッシュリスト登録して本編が発売されているのに気づかなかったりした。一体誰がこんな事を流行らせたのだろう。同時に多くの製作者が始めた事から考えるに、誰かがこのやり方を広めているのだと思う。そもそも無料ゲーは、F2P+課金形式の物、課金もなく完全無料の物などを区別しないので分かりづらい。正直辛い。

 Steam側も売れない物を出しても仕方が無いのだから最低限のアドバイス位したら良いのにと思う。完全なパクリでも発売した後に騒ぎになって消されたりするニュースを見たりするので、Steamは本当に何も審査していないようだ。ただエロに関しては社会情勢的に問題化すると大変なのか、恣意的な検閲を続けているというニュースを見る。
 わざわざ書く必要が無い程誰の目にも明らかだが、無審査で全部載せるというのは無理があり過ぎる。開発者もユーザーも得しない。おそらくこの方法を取り続けるのはValveの恐れだと予想する。審査をして数を絞った場合、itch.ioのような何でもありのサイトにあぶれた人が集まる可能性がある。その他にもライバルは幾らでも存在する。EPICは勿論、サブスク、クラウド、色んな可能性も存在する。独占を問題視する向きがあるが最も独占しているのはSteam自身である。とにかく現状の独占状態を維持したいのだろう。

 今までの話を読んでトレーラーやストアページだけ見て判断するのは良くないと思う人もいるだろう。だが、いくら何でもこれは無いだろうと言いたくなるものが次々に現れるのが現状なのだ。嘘だと思うなら貴方もこの苦行を始めてみると良い。確かにこれは無い、と画面に向かって吐き捨てるあなたがそこには存在しているはずだ。

 その後、私はこの苦行をやめた。なぜなら正直辛いから…という訳では無く、実際のところ掘り出し物が見つからなかったというのが大きい。確かにメディアには紹介されてない作品を数多く見れるし一見良さげな物も見つかる。だが、詳しく見ていくと購入に至る程の良さではなかったりする。また、こんな事をするよりSteamDB等の外部サイトや、インディーゲー紹介サイトやyoutubeを見て回ったほうが効率が良かった。勿論見逃しもあるだろうが考えるより遥かに少ないと思う。一人で全部やるより素直に他人に頼ったほうが良い、という当たり前の結果であるとも言える。
 つまり結論としては、こんな苦行をするのはやめておいた方が良い。なぜなら正直辛く、それほど意味がないからだッ!

罪を積んで詰む前に - 積みゲー攻略法

 人類はなぜ過ちを繰り返すのか。そして人はなぜ積みゲーをするのか、今回はこれを考えてみようと思う。

積んでしまう理由その1 金の事しか考えない

 1000円のゲームがあっても100円しか持ってないなら当然買えない。だが金があっても100時間かかるゲームがあって自由時間が10時間しか無いのになぜか買ってしまう。だから積む。金の事は考えるのに時間の事は考えない。セールで安く手に入れても消費時間は変わらない。

積んでしまう理由その2 金と時間の事しか考えない

 金と時間がなければゲームはプレイできないのは理解した。だがそれらがあっても、そのゲームに対して情熱、動機がないのになぜか買ってしまう。だから積む。肝心な気持ちの部分を忘れたら意味がない。これがやりたいという気持ちがないのに安い、短いだけで買う意味はない。

積んでしまう理由その3 価値を間違える

 1億円のウンコが1円に大幅に値下げされても、ウンコである事は変わらず価値が無いのだから買う必要はない。だが、あるゲームが99%引きと聞くとなぜか買ってしまう。だから積む。どんなに安くなってもウンコはウンコ。安い事に価値がある訳じゃない。

積んでしまう理由その4 自分にとって必要かを考えない

 人気の芸能人/インフルエンサーが身に着けているという理由であるアクセサリーが大人気だとしても、自分がおしゃれ/ファッションに興味がないなら買わない。だが、評価数が1万、ほぼ好評と聞くとなぜか買ってしまう。だから積む。有名な人や多数がおすすめしていても自分にとって価値があるかは分からない。鏡を見ろ。

積んでしまう理由その5 似た物を買う

 似た様な物は理解しやすく面白さが予想しやすい。慣れ親しんだものに親近感を湧くのは当然だ。だが、人間は飽きるという事を忘れている。さらに、似たゲーム同士で比較をしてしまい、結局面白い方だけをプレイしてしまう。だから積む。似た様な物はいらない。

積んでしまう理由その6 自分を顧みない

 ゲームをプレイしてもそれを顧みないと、自分がどういう物が好みか分からず自分に合った作品を選べない。例えばRPGが好き/嫌いなどという大さっぱな考えはあり得ない。RPGのどの部分をどの様になぜ好きなのか/嫌いなのか具体的に詳細によく考えるべきだ。実際に書き出してみるのが良いだろう。でないと、いつまで経っても考えが深まらずに他人のレビューに左右され続け、自分で選ぶという事が出来ない。だから積む。他人に判断をゆだねている間はプレイしているのか/させられているのかわからなくなるだろう。驚くほどに自分は自分を理解していない。

積んでしまう理由その7 冷静さを失う

 当たりまえだがこれは商売である。売る側はあなたが必要としているかどうか関係なく何でもいいから売りつけたい。全ては金の為。なのに疑いもせず、安いですよ、今だけですよ、もうすぐセール終了ですよと言われたら買ってしまう。「セール中だから何か買わなきゃ」などと焦ってしまう。だから積む。どうしたら人の購入意欲を高められるかという研究は昔からずっと行われている。セールの仕方は勿論、サイトのデザインに至るまでその成果で埋め尽くされている。これは一部の業界・会社だけではなく商売ならどこでもやっている当たり前の話だ。つまり積みゲーは意図されて起こされている現象だという事を知るべきだ。あなたは冷静な客か、踊らされているカモか?動物になるな、人間になれ。

 以上、積んでしまう理由をまとめた。それでもセール時期などに迷ったら次の事を思い出して欲しい。セールはしょっちゅうやっていて、次のセールではもっと安くなっている可能性がある。だから次のセールまでなんか待てない、絶対プレイしたくて、クリアまでやり切れる物だけ買えばよいのだ。無いなら買わなくても良いのだ。
 ちなみに私は多少積んでしまっているが、詰む程には至ってない…。

GOD HAND の感想

 2006年9月14日発売。PS2。開発はクローバースタジオ。とにかく出てくる奴らをボコるゲーム。
 今時珍しい単純明快・高難度で、昔のゲームの様です。良いですねぇ。三上真司さんの気持ち、解りますよ(多分)。
 ゲームの面白さに関係ないからなのか、背景等のグラフィックがとことんショボイ(むしろ好感触)。ストーリーはギャグを交えつつ何でもない話が進みます(むしろ好感触)。そして本作の最大の魅力(?)の無駄に力が入ったエンディング。昔のロボットアニメの様な感じです。もしかしてこれの為にこのゲームを作ったのかと思ってしまいます。
 本編は、プレイし初めの時はボカスカ殴って、吹っ飛ばして楽しいですが、暫くするとプレイヤー側、敵側どちらも攻撃法、種類がワンパターンな所が気になってきます。技も色々選べるのですが攻撃力が違うだけとか、さほど違いの無いものばかりでもう一工夫欲しい所です。このゲームは攻撃より避けが重要で面白い部分だと思いますが、アバウトにやっても簡単に避けられたり、この部分でも単調さがあります。
 それから、HARDモードが特にそうなのですが、敵の体力が多めなので一体倒すのに時間がかかり、攻撃が前述の通り単調なので無駄に時間がかかり、難易度が高いというよりか、作業感が漂ってきます。HARDでは敵を倒してもほとんど吹っ飛ばなくなり、ウリの爽快感も減少していると思います。
 おまけのサントラCDは肝心のエンディング曲は収録されてないし、曲がゲームの内容に深く関係している訳でも無いのでなぜ附属してるのか疑問でした。
 個人的希望は、こういうギャグ路線は日本語音声の方が良いなという事と、対戦・協力プレーモードを追加して欲しい事。絶対アツイと思うけどなぁ。しかし、クローバースタジオは解散した様なので次回作はないな…。

GOD OF WAR Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ の感想

 1は2005年11月17日、2は2007年10月25日、3は2010年3月25日発売。1,2はPS2、3はPS3。開発はどれもSCEサンタモニカスタジオ。ギリシャ神話を題材にした洋物、暴力、派手アクションゲーム。
 内容はどれも同じなので1~3の感想をまとめて書きます。ローマ数字は面倒なのでアラビア数字にしています。
 筆者が今までやったものでは「アルゴスの戦士」に近い感じかな。筆者は洋ゲーというと「理不尽・残虐・大雑把」という昔のイメージを引きずっていたのですが、少なくともこの作品は残虐以外は違うみたいです。
 まずグラフィックレベルは相当高く、ただ綺麗なだけでなく見せ方という面でも素晴らしいです(この部分は重要で日本にこういう感覚は皆無)。特に大型キャラクターの迫力。それから3Dゲームに付き物の視点問題ですが、固定カメラではありますが常に良い位置なので不自由さは感じません。目立たない部分ですが凄いと思います。
 ゲームシステムはどこを見せたいか絞り込まれていて分かりやすい。攻撃アクションはボタン連打や組み合わせで簡単に出せて爽快。特定条件下で発生する派手な攻撃も簡単に出せます。謎解きもヒント出まくりでは無く良い感じで頭を悩ませてくれます。ゲームオーバーになっても直前からやり直せ、さらに本当に凄いのですがロード時間が全く無いのでストレスは皆無。
 難易度も理不尽な部分は無く何度かトライすれば進めます(最近の日本の至れり尽くせりな物に慣れ親しんでる人は難しいかも)。主人公キャラは日本じゃありえない、外見的特徴の薄い残酷オッサンですが、変にゴテゴテに特徴付けられたのより私は好印象でした。
 問題の残虐シーンは、ゲーム中はそれほどでもないですが、ムービーは日本用にカットされた部分もあるそうですが結構残酷です。良く出来ているゲームだけに残虐OFFモード等を付けてより広い層にアピールした方が良いと思います。それは残虐=面白さではないと思うからなのですが「2」に同梱のメイキングDVD(限定版のみに附属ではなく全てに附属で、内容も充実。太っ腹ですね)を見るともっと残酷にした方がイイとか、残酷描写に興奮するテストプレイヤーの映像があるので、この部分は国(個人)の違いが大きいのかもしれません。
 筆者自身の志向が、キャラクター先行、多様な要素の詰め込みや子供の万能感をただ加速するだけのような物を嫌うからかもしれませんが、どこで遊ばせるかハッキリしてるこの作品の姿勢はとても素晴らしいと思います。ある程度の年齢をいった人だけを考えると日本のゲームはヤバイんじゃないかとさえ思ってしまいます。
 褒めまくりな感じですが、問題点はある程度慣れてくると攻略法がワンパターン化してくる所です。大きな課題だと思い「2」に期待していたのですが、全く内容が変ってない。元が良いので面白いし新要素も多少ありますが、同じ刺激は慣れてしまうので評価は下がります。前作でゲームのクセみたいな物が分かってしまっているので殆ど躓かずにクリアしてしまい、難易度的にも不完全燃焼でした。3に続かせる為に物語りも半端な所で終わります。最後にシークレットメッセージは…、ネットで情報得るのは反則ですね。
 そして、「3」をやりましたが不安的中。全く変わってない。グラフィックや残虐性を少し強くしただけで、ほぼ同じ内容。いや、それどころか武器種が4つの内3つが同じような物だったり、難易度の低下、パズルの減少、QTEも単純化で、プレイすると言うより、より見せる方向に特化した印象。それにQTEに関してはもはや色んなゲームで見かけるので食傷ぎみもあり、派手なシーンは自らプレイしてこそゲームなんじゃないか?それが出来ないからこそのQTEなのか?と言う疑問が拭えず、アクションゲームとしてはあまり楽しめませんでした。良い点だったロード時間も伸びてしまっているし。エロは相変わらずカットだし(笑)。またもや付属のメイキングで残虐シーンを笑いながら見ているプレスの人達を見ると、もはやこのシリーズは筆者には関係ないのだと改めて実感。結局、1の衝撃はあれどそこからから何も進化していないのです。しかし、これは完全な好みの話なのでそういったものが好きな人には楽しめる作品だと思います。

FINAL FANTASY XII の感想

 2006年3月16日発売。PS2。開発はスクウェア・エニックス。言わずと知れた有名JRPG。
 「多くの人を満足させる方向性はマニアを遠ざける」とずっと思っていた。確かに、ユーザー数を増加させる為に一般化した事やゲーム自体の世間的な浸透により不慣れなライトユーザーは増え、それに合わせた作品は多いと思う。しかし、単に筆者が年齢や経験を重ねた事や「思い出補正」を差し引いて考えれば昔の作品がマニア指向だったとは思えない。なので今作は万人受けを狙ったものとして良くできていると思いました。
 具体的な話をすると、独自のこだわりを何とか入れようとしているのを感じた。特に武器の選択やガンビット(自動戦闘機能の事。ユーザーの介入度合いも自由に変えられるし、ピンチになった時、仲間がすぐに対応してくれたりする事に何故か感動を覚えた)。今回は戦闘システムがガラッと変わり、前述のガンビット、戦闘と移動が同じ画面で行われる事、見せつけCG減少等で、かなりストレス(特に雑魚敵との作業的バトル)が減った。ゲームバランスに関しても、ただクリアするだけなら易しくすんなり遊べ、やり込もうとするとハードルが上がり、極めてもそんなに強くなりすぎないように調整されてる。
 しかし、存在理由が分からないわざ、召還等や、薄味なストーリーには開発途中で発売したのかとさえ思う。実際、中核を担っていた松野氏が途中で抜けたのでそれの影響があったのかもしれない。それと、謎解き皆無のお使いイベントや、街の広さによる会話の面倒くささ等、親切な事、難易度、自由度が混同され整理されてない事が目に付いた(これは今作だけではないが)。全体魔法でバトルが止まる事や、刀を抜き身で肩に背負う事等、技術的な問題もあるかもしれないが、力の入れ所を間違っていると思う。ハードの進化はグラフィックのみではなく、色んな部分に使って欲しいと思う。
 最後に、個人的好みを書くと長い。長いよスクウェア・エニックス。隅々までやり倒す主義なんですが、疲れました。中古対策も分るけど短く、太く、繰り返しやり込めるのがお好みです。 あと、戦略性の薄さ。結局万能最強キャラに出来てしまい攻略法が画一化されてしまう点。ガンビットの調節がひと段落すると結構見てるだけ…。とは言いつつ、この部分は多数の方が指摘しているが、筆者自身は少し気になる程度。なぜかと考えると、昔のFFも決定ボタン押しっぱなしで見ているだけだったからと気づいた。戦略性のなさは昔から。万人受けを狙っている作品に戦略性など邪魔なだけだろう。思い出補正には注意しないといけない、と自戒。それと、筆者はゲームはシステムだと思ってるので、薄味ストーリーなのは逆に助かった。X-2の様に、軽佻浮薄な事をされると白けるし悲しくなる。インターナショナル版のZODIAC JOB SYSTEMの追加要素は何で最初から付けてくれないんだと思う物ばかり。こういう商法はやめてほしい。

Grand Theft Auto : San Andreas の感想

 2007年1月25日発売。PS2。開発はロックスター・ノース。洋物箱庭アクション。ギャングになって殺しまくるゲーム。暴力面に関して色々と物議をかもした。世界で一番売れたPS2ソフト。
 第一印象はHIP HOP!筆者のプレイしてきたゲームに偏りがあるからかもしれないがゲームでHIP HOPがかかるのは凄く新鮮だし世界観にものすごくあってるし単純にイイ曲!そしてゲームシステムの初めの印象は、クレイジータクシー+ダウンタウン熱血物語。前者はグラフィック面と乗り物、後者は暴力面や自由度からそれを感じた。テクノスジャパンが潰れなかったら…悔やまれますね。プレイして先ず思うのはとてつもなく広いマップ。それに比べて通常画面に出るミニマップの見難さ。操作のし難さ(特にジャンプ)。それと、表示されないアイテムが画面切り替えると出たり、マップに引っかかる敵キャラ等、昔のゲームを思い出す。
 もう少し細かく見ていくと、広大なマップには街、農村、高速道路に森林に砂漠に山に川に海に…広いだけでなく細かく作り込まれている。クリアした今でも行ってない場所もあるし、未だにマップなしではすぐ迷う。(何かしらのガイド機能が欲しい!)そこに人々が歩き、車やバイク等を走らせていたり、警察に追われてたり、事故っていたり、飛行機が落ちてきたり、生活がある。 この広大な世界を多彩な乗り物(車にバイクに飛行機に特殊車両に豊富!)で駆け回る。理由は分らんが単純に街を車で走っているだけで楽しい!暴力面ばかりが注目されるがこのゲームの一番の特徴で面白い部分は「乗り物ゲー」である部分だと思う。
 次にストーリー面。ミッション形式で一つ一つこなしながら進めていく。しかし、各ミッション間での話のつながりが弱かったり、当初の大きな目的から途中で大きくずれたり、ミッション内容が結局人殺しで似通っている点などから、今自分は何を目的にしてるのかわからなくなる。 さらにおそらくギャングの抗争という物語では到底ありえない乗り物を出す為だろうが、変にストーリーを拡張してる部分がある。ストーリー自体は長いのに各キャラクターは深く掘り下げられず、伏線と思っていた所が結局最後まで何もなかったりする。マップは大きく分けて3つの大陸があるがほとんど最初の大陸ばかり使われる。これらは非常にもったいない部分だと思う。 それにギャング同士のシマ争いや、カーチェイスしながらの銃撃戦等、面白いミッションなのに途中で一時できなくなったり、クリアすると再挑戦できなくなったりするのは残念。
 次に自分のキャラの見た目や服装、格闘に銃撃、物件購入、ガールフレンド等、色んな要素があるが、その一つ一つは結構浅い。服は意外と種類が少なく(更に着替えが超面倒!)格闘はただのボタン連打で、武器もこの手のゲームにありがちな物ばかりだし、銃撃もただ撃つだけで駆け引きは無い。敵AIも頭が悪く、準備不足や囲まれない限りはまず負けない。そして極めつけ、女は作業!(現実世界ではこんな事を言う機会はないだろうが…)
 次に暴力面であるが、単純に暴力=悪と言う気は無い。が、殺すことが目的のミッションが多くあり、ここまで人殺しを明確に目的としたらそれは怒る人がいるのもわかる。殺すこと自体に快感を求める発想、つまりそこに何のゲーム性も無い事も問題だと思う。どのように持っていくかを考えるのがゲームだと思う。ただグラフィック的には結局CG人形なのでそこまで現実感は無い。これが次世代機の映像表現でどうなるかで印象は変わると思う。 暴力行為に対しては警察が追ってくるペナルティがあるが交通違反は無視だし、簡単に振り切れる(まぁこれはゲーム的にはそうしないと難しすぎてしまうのだが)。重い罪や罪を重ねる毎に手配レベルが上がり警察の追跡もきつくなりFBIからヘリや戦車まで追っかけてくるようになるがこれを言い訳に、つまり暴力を完全に肯定していないとは言い切れないと思う(でも、どこまで逃げきれるか走り回るのは、これはこれでゲームとしては非常に楽しい!)。 そんな変な倫理観がよく表れている部分なのが、一般人は殺しても何も言われないがガールフレンドを殺すと最低と言われる点。(試すなよ、自分!)
 そして、ラジオ。とにかくラジオ。乗り物に乗ると舞台となった90年代の実在する曲がそのままかかる、DJも喋る。イイ、これは良い!音楽聴きながらドライブするだけでこんなに楽しいとは!これにより現実感というかそこに暮らしている感を増すのにも一役買っていると思う。しかし、バイクでもラジオが聞けたりするのに一部車両では聞けなかったり基準がよくわからない。基本的に乗り物に乗っていない時はBGMが無いので、アイテムで携帯ラジオを登場させていつでも聞けるようになると良いと思う。トーク番組もありゲーム内世界の話題もあるようだがこれは翻訳されないのでちょっと残念。
 最後に、この広大なマップを実現する為なのだろうが常にロードしまくり!PS2がガコガコいいぱなっし!で、ついに壊れました。長年使ってるのもあるだろうけど。でもグリス足したらすぐ直りました…。ついでにメモカもこわれた。あとゲーム自体もバグが多過ぎ。個人的好みとしては要素をもう少し絞ってその分一つ一つを深く堀り下げて欲しいのと、ゲームに対してストーリーをそもそも求めていないがなるたけスムーズな物を望みますぜ。

大神 の感想

 2006年4月20日発売。PS2。開発はクローバースタジオ。和風な世界観とグラフィックのARPG。そして「筆しらべ」とよばれる、ゲーム内の筆を使って図柄を書いて様々な効果をもたらすシステムが特徴。
 本作の魅力は何といってもグラフィック・映像表現である。3D空間でありながら2D的表現(製作者によると正確にはトゥーンシェードではないらしい)になっている。が、これ自体は他のゲームにもある表現なので、何が素晴らしいかと言うと、日本的な絵に非常にあっているという点である。過去の絵画作品を見ても分るように、日本画というのは西洋の写実主義とは大きく異なり、デフォルメされ独特の映像表現をとり、それが現在のアニメや漫画にも受け継がれている。ゲーム機の性能が上がりゲームが3Dになった時点で多くがリアル写実主義に走った。しかしそれは欧米が得意なジャンルであり、結果日本は苦戦を強いられていると思う。つまり日本が世界に打って出ようとするならば、2Dで勝負すべきであると思う。歴史があり、ノウハウもあり、利点があるのだから利用しない手はない。それなのにこういう日本的表現のゲームは本当に少ない。なんでなのか非常に残念。
 問題は映像だけではない、3Dがリアルを表現するならそれは現実ということ。2Dは現実ではないのでそれはファンタジーを表現する事。日本的ファンタジーを表現するなら2Dでないと無理が生じるのだ。
 例を挙げると、JRPG批判に「何であんなに細い腕で身体ほどもある剣を振り回せるのか」というのがある。日本人には良く分らない批判に聞こえるが、ゲームであっても現実と同じと考えている写実主義からすると当然だ。日本的に考えれば、現実ではない別世界なのだから筋力がどうのなんて考えすらしない。単に絵的にすばらしい物を求めた結果だ。 このように、欧米のリアル3D主義と、日本の幻想2D主義では単に映像の違いだけではとどまらず、ゲーム内の世界そのものに影響を与えているのである。この部分を考えないと、現実と幻想をマゼコゼニしてチグハグな世界が出来上がってしまうのだ。
 と、ここまで直接関係のない事を語ってしまったが、肝心のゲーム内容はというと・・・超スーパーウルトラデラックスに王道です。基本おつかいの連続、幾つもあるサブクエスト、ミニゲーム、収集/隠し要素…。スティック移動、ボタン連打で進めるバトル(攻撃と防御に目が行きがちだが位置取りが最重要という、つまりは王道システム)、名前は大仰だが実際は何てことないバトルの細かなシステム(JRPGには、これがなぜか凄く多い)。インターフェースや細かな演出もとても丁寧に作られているのだけど、それら全てを含めて超スーパーウルトラデラックスに王道です。
 ストーリーはコミカルに進めて最後泣かすという、これまた王道。かわいらしい動物/人間キャラと、低難易度と、筆しらべはモーションコントローラー向きな事を考えるとwiiで出すべきというか、何故初めからwiiで出さなかったのか不思議である(後に別の会社によって移植される)。
 最後に個人的な事を書くと、絵の美しさがハードの性能に影響されない物なので、今更プレイしてもPS2だからしょぼいとは感じなかった。本作は、物凄く丁寧に細かく作りこんであるが、グラフィック以外は本当に王道、筆者にとってはハッキリ言ってしまえば何番煎じか分らないありがちの連続。そのうえ低難易度とおつかいの繰り返しで正直途中で飽きてしまった。物語中盤で話的に盛り上がる部分があり、もう終わっていいだろ・・・まだ続くの!?と思ってしまいました…。やたらボリューム増大主義に走っているところもまた王道なのでした。残念、惜しい。ですが、これからゲームを始めようと考える初心者やお子様にはお勧めです。登場するキャラが皆かわいいし。

Bio Hazard 4 の感想

 2005年10月25日発売。PS2。開発はカプコン。従来の形を捨てて生まれ変わった続編。肩越し視点TPSの発明としても有名。初出はゲームキューブ版で2005年1月27日発売。
 1の衝撃はあれど、2、3とマンネリ化したシステムから脱却するのは支持したいが、ほぼ別のゲームになった。それは恐怖感から爽快感へ、サバイバルホラーからTPSアクションへの変化と言える。
 メインの敵を単調なゾンビから行動パターンの多いガナード(まぁ、ゾンビに似たような物だけど)に変えたのは良い進化。しかし、敵を倒すと金を落とし、それで武器売買ができる事や、やや強引な繋がりのマップで現実感が消えてファンタジー路線に。弾が豊富にあるので、逃げずに倒していく方向になり、恐怖感などは完全に無い。これを無くすのであればバイオの名前を冠する意味が無いと思う。今までと関係ない物語、突然のQTEからのゲームオーバーイベントもゲンナリ。
 と、批判ばかりを書きましたが、過去のバイオと切り離して別作品と考えれば充分面白いです(自分で書いててなんだそりゃ!)。おまけのマーセナリーズはすんなり遊べてかなりハマります。単なるスコア競争ゲームではあるが、いろいろ工夫しがいがありやり応えがある。はっきり言ってこっちの方が本編より面白くて長く遊べます。今の時代、オマケでしか成立しないのだろうけど、こういうのが正に「ゲーム」なんだと思います。

Bio Hazard 5 Alternative Edition の感想

 2010年2月18日発売。PS3。開発はカプコン。映画にもなってるカプコンの人気シリーズの続編。オルタナティブエディションはDLC全部入りバージョン。通常版の発売は2009年3月5日。
 プレイした印象・感覚は4とほぼ同じである。怖さではなく敵をバリバリ倒していくなんちゃってTPS。細かな違いをいえば、映像が綺麗になる、常に二人行動(相棒はAIかオンライン)、装備メニューの変更の3つ。
 映像が綺麗なのは、前作はPS2なので当然とも言える。他のPS3作品と比べたら普通。二人行動は前作にもあり、それを常態化したもので新鮮さは無い。前作にもあったような協力イベントはあるが、二人になった事によるゲーム的な変化はなく残念。片方が死ぬとゲームオーバーになる仕様上、AIがしょぼいと詰んでしまうので良く動く。たまに無視されたり、地形に引っかかるけど良く出来てると思った。装備メニューは変更しやすくする為の改良で、確かに前作より装備変更がやりやすい部分もあるが良く練られてはいない。メニュー開き中も時間は進むのに、一発装備は出来ても一発使用ができない(余ってるボタンはあるのに)。持ち物が一杯の時しか交換できない等、工夫が足りない。
 それ以外は本当に変わってない。ストーリー展開、マップ、仕掛け、敵、武器、即死QTE…ほぼ同じ。特定の場所のみカバーアクションが出来たり、移動しながら銃は撃てない(開発者によると、バイオらしさのこだわりらしい)、視点を大きく変える為にはじんわり回転しなくてはいけない等、不思議な仕様のなんちゃってTPS。キーコンフィグも自由に出来ない。初期作では操作のもどかしさも恐怖を演出するのに一役買っていたと思うが、TPSではただ単に操作しづらい上に絵がリアルに近づいてる分、違和感がありすぎる行動に見える。操作体系も中途半端なTPS仕様では無く大幅に変えるべきだと思う。
 次にオンライン関連について。前述の協力プレイは、相手の状況が分からなさ過ぎるマッチングと思う。初プレイ時は色々探索したいし道も分からなく、時間もかかる。しかし相手にとっては状況が分からないので、クリア済みならまどろっこしく、勝手に進めてはホスト側の楽しみを奪ってしまう可能性もある。ある程度状況を表示したり、条件をつけてマッチング出来るとこのあたりがスムーズになると思う。
 対戦モードがあるが、これは仲間同士での殺し合い。今まではあくまでストーリーがあり、怪物と化してしまった人間を仕方なく撃つ、という前提があったが、これではゲームの世界観をぶち壊しである。たとえおまけモードであってもこういう点に配慮していない事に疑問を持つ。どうしても対戦をさせたいなら別キャラを作ればいいはずだ。そしてこの対戦モードには相手プレイヤーではない敵を倒した数を競うモードもあるが、なぜかこちらでも相手プレイヤーを攻撃できる為、スコアを競わずただの対人戦になってしまうのも問題だ。
 世界観への配慮の足らなさについてもう少し書くと、ストーリー自体はシリアスで、グラフィックはリアル指向なのに、蜘蛛を倒すとお金を落とすとか、人工的に加工された宝石が岩に埋まってるとか、設定が変である。対バイオテロの特殊部隊なのに動物殺してなぜか出現するお金で武器を買うのはどう考えてもおかしすぎる。敵役の組織も最新の科学技術を使っているのでその技術(たとえば設計図)を盗んで武器を改造する、とかなら世界観を壊さずにシステムを維持できると思う。どう見ても乗り越えられる障害物で進めないとか、手を伸ばせば簡単に外せる仕掛けで進めないとか、チャプター毎にリザルト画面が出たり、リアリティについて全く気に留める様子が無い。ストーリー的には関係ないゲーム内ポイント&収集要素で色々な要素をアンロックさせていく中古対策、カサ増しの作業要素はかなり多く、これも世界観を滅茶苦茶にする事に拍車をかけ、かなり萎える。
 DLCの追加エピソードは、一つは一作目を思わせる洋館に潜入し、お馴染みの仕掛けや、あのロード画面を再現したかの様なドアの開け方で進んでいくが、それも直ぐ終わり別の雰囲気のマップになったかと思えば終了。もう一つのエピソードはただ敵を倒していって終わる短いエピソード。しかも4でもあったが、急に出てきたサブキャラがとってつけたように良い人アピールの直後死ぬと言う酷いお話。う~ん、この…。
 まとめると、新しい挑戦をせず、細かな点に配慮もせず、だけど薄めて伸ばすことだけはしかっりとやっている。行き詰まりしか感じない作品である。

ARMORED CORE 4 の感想

 2006年12月21日発売。PS3。開発はフロム・ソフトウェア。パーツを組み替え戦うロボットゲーム。プラットフォームを次世代機(PS3、Xbox360)に移して初の作品。
 先ず最初に感じた事は全く操作できない…。過去作では華麗に動き回れたのに…。幾らキーアサインを変えても改善なし。そんなに中指動かねーからッ!と、挫折&放置。後に再挑戦してみると、慣れたからなのかあっさりクリア。うーん…慣れって怖い。しかしキーアサインが自由に出来なかったり、空いてるキーがあるのに割り当てできなかったり。操作自体も工夫すればボタン数を減らして簡単にしつつ、複雑な操作が可能に出来そうなのにとかなり疑問が残る。初心者を取り込みたいならこの部分は相当工夫したほうがいいと思う。
 で、肝心の内容だが、今までとの違いで述べると、まず画面表示がすっきり。ブーストの負荷がほとんどなく使いまくれるうえ、クイックブーストの登場でスピード感アップ。プライマルアーマー(バリアみたいなもの。弱い攻撃を無効化できる)の登場で防御面が強化された分、敵の攻撃が激しくなった。機体図面やペイントデータをゲーム進行とは別にし、機体変更を簡単に、オンラインで交換可能。このシリーズは続編がかなり出ているのにいつも変わり栄えしなかったので、着実に進化してる感触があり好印象。
 しかし、次世代機に慣れて無いからなのか色んな部分で詰めきれてなく、もったいない所が多い。メニューをちょっと操作するだけでロード、ミッション前は相変わらず長いロード。使いにくいインターフェース(一例を挙げるとパーツの売買や表示方法)。他にもミッションの再挑戦を簡単に出来るようにすればいいのに一度メニューに戻らなきゃいけなかったり等の不親切さ。ミッション終了後の無意味な間・画面表示。説明書でもゲーム内でもパーツデータ等の説明不足。さらにACの図面はかっこいいグラフィックで見せてくれるのに、それ以外のメニュー画面はPS1の様なしょぼさ。メカをかっこよく見せようとか全く思ってない。ロード以外はちょっとした工夫で簡単に改善できる所なのにもったいない。しかも以前は出来ていた部分も出来てない。
 更に残念なのは、出来なくなった事が多い。かなりの数のパーツ減少。種類も減少。色んなパーツの組み合わせを考えるのが本シリーズの一番の楽しい部分なのに。さらにマップなし。それはつまり複雑な迷路ミッションが無い事を意味する。調べる等のアクションコマンドなし。これはマップ消失と合わせて、ただ敵を倒すだけ等の単純なミッションばかりになることを意味する。なので、ほぼ同じ装備でどのミッションもクリアできてしまう。これも組み換えの楽しさを消している。生物系の敵とかもいない。対戦のリプレイもない(これは相手の動きが見れるのでかなり参考になるのに)。
 戦略面では、プライマルアーマーは調整があまいのか、ハンドガンやマシンガン等の、威力は弱いが手数で勝負する武器の存在感を薄くしてしまっている(ミサイルやマシンガンを全弾打っても倒せない敵が、バズーカやグレネード数発で沈む)。敵ACとのバトルもAIが賢くなく、なんだかよく分からず勝ててしまったり、負けたり…(これは前からだけど)。スタビライザー(機体の重量バランスをとるパーツ)も効果が実感しにくく、必要性に疑問。装飾パーツと割り切った方が使い道も広がると思う。それにこのパーツはそれなりの数があるけど、それなら他のパーツ増やして欲しかったり。
 まとめると、新しい要素で進歩した部分もあるのに、もったいない所、相変わらずな所が多く、PS3発売(2006年11月11日)に無理やり合わせたのだろうかと思ってしまう。結局いつものAC。

ARMORED CORE for Answer の感想

 2008年3月19日発売。PS3。開発はフロム・ソフトウェア。同じエンジン、アセットを使いまわしたいつも通りの二毛作的/DLC的続編。当然、基本的な部分は変わらず細かい変更を施したのみ。
 アサルトアーマーという必殺技?とアームズフォートというデッカイ敵とのバトル、ヴァンガードオーバードブーストというめちゃめちゃ速いブースターの登場、オンラインでの共同ミッション、インストール対応等が変更点。
 良くなった点は、ブリーフィング画面はかなり作りこまれていて(前が酷すぎるだけな気も)、ストーリーも分かり易くなったり(前が酷すぎ…)、ミッション再挑戦、パーツ表示、説明には改善が見られる(前…)。しかしメニューの見た目は相変わらずだし、ガレージは廃止。メカ愛が感じられない。このシリーズが好きな人の事を分かってないような。
 システム面ではインストールの効果なのかメニュー画面でのロードは減ったが、ミッション前は相変わらず長い…。そしてキーアサインも相変わらず。同時押しコマンドがあっても、空いているキーには割り当てできない。良い点としてはオートパージが登場しこの操作は簡単になった(前作にもあったがオートウェポンという意味不明な機能とセットになっていて使えなかった)。シンプル操作というのが初登場し、スティックだけでブーストが使えるのが非常に便利(このゲームは基本ブーストおしっぱなことが多いし)なのだが前後移動のみの制限がなぜかあり、結局使えない…。更に非常に残念な部分だが処理落ちが酷い。前述のデカイ敵とのバトルはなかなか面白く本作のウリだろうにカクカク。他にも一部武器を使うとカクカク。パーツは増えたがほとんどがスタビライザーパーツで、その他は似たような物も多い…単純な数では無く種類を増やして欲しい。ヴァンガード~は特定の場面だけで使われるのみのおまけ的要素で残念。
 対戦は4では全く人がいなかったが、FAではそれなりにいるので結構遊べた。しかし、とにかくブースターを使いまくれるからか軽量飛びまくり機体が多い。それに加えプライマルアーマーでの防御強化、クイックブースターでの回避強化により弱点の「脆さ」が薄まるからか軽量機の独壇場である。それと画面では攻撃が当たっているのにダメージが無い現象(ラグアーマーと言われているらしい)が酷く、その他のバグや特定のパーツを使うだけでフリーズ等、致命的欠陥がありモチベーションは低下。弾速の速い武器だと多少ラグアーマーの影響を受けにくいらしく、対戦で似た機体が多いのはこういう理由もあるのかもしれない。個人的には重量機体でバズーカやグレネード(これらは弾速が遅い)でバコーンとやるのが好きだったのだが…。それと、やはり自分の何が悪かったか相手からみると良く分かるので対戦ではリプレイがみたい。
 まとめると、4の悪いところを幾つか改善したバージョンアップ版という印象。でも相変わらずなところも多く結局いつものAC。ディレクターはデモンズの宮崎さんなのだが、同じ人がかかわっているとは思えない…。

ARMORED CORE V の感想

 2012年1月26日発売。PS3。開発はフロム・ソフトウェア。ACの続編。今作からパブリッシャーにバンダイナムコゲームスが関わっており、それが故かいつもより宣伝が多くされていたのを覚えている。それにより今までは一部の好事家が好むゲームだったイメージがほんの少し変わった。なお筆者はβテストには参加していない。
 前作と比べると若干低速、地上接近戦、目視策敵、若干リアル系へ変更。操作系も変更し、チーム前提な作りや領地戦とオンライン要素を強化した。
 先ず第一印象として発売直前の体験版をプレイ時、ロード時間の大幅短縮に今作は期待できるかも!と期待した。なぜなら、このシリーズは長年続いている割に全く進歩しないという技術不足なシリーズであり、ロードが長いのも最早伝統であったからだ。まぁ、短いといっても今までが長過ぎただけで、他のゲームと比べると長めなのだけど。
 操作に関しては、今までの操作から変更されたものの、移動に4つのボタンを必要とする等、複雑さは変わらない(2段QBが無いだけマシか…)。配置や効果に納得出来れば良いが、ハッキリ言って死にボタンが多い…。素人目にも全く同じ操作を可能にしつつ、ボタン1つにまとめられるだろうと思えてしまう。実際操作してみては、壁蹴り、ドリフトの挙動や判定、歩きの存在意義等、疑問を感じる所は多い。それらと、飛び続けられない事以外は前作までと大きな違いは無い。
 パラメーターの項目数は減ったが、数値から変化や影響の範囲が予測しにくかったり、相変わらず隠す必要が無いのに隠しパラメーターがあったり複雑さは変わらない。さらに画面表示は、どの場面でもデッドスペースが多い割りに文字が小さい。画面切り替えが多かったり、説明文が毎度出たり、並び替えが一部しか出来なかったりと、かなり酷い。戦闘時の表示も同様で、肝心な数値が見難く、ロックオンサイトと表示バーが重なっていたり、スキャンデータも重要で無い項目が大きく表示されたり、敵が動くと一緒に動いたり、背景と同化したり…。
 本シリーズはパーツのパラメータがズラッと並ぶ画面や、ボタンフル稼働が故にとっつき難さが先行していると思う。新規参入を増やす為にもこの部分の変更は当然だと思うのだが、上記の様に相変わらず無駄な複雑性を維持したままである。
 ガレージは数種類あり、飾りつけが出来たり、鑑賞モードがあったり、エンブレムが細かく作成出来たり、ターゲットをよく理解した良い所だと思う。パーツデザインが似たような形状が多いのは残念だが、等身を低くし若干リアル系になり、ラジコン感が多少薄れ、重みを多少感じれる様になったのは個人的好みであるが多少嬉しい部分である。多少。
 パーツ調整を色々と制限があるパッチではなく、サーバーのみで可能にしたのはバグの修正と調整の切り分け、調整の速さ、回数的にも良い方法だと思った。が、実際調整は細かく行われなかったので、そのような目的でこの仕様にしたのかは分らない。そもそも、調整が度々必要になる事が問題ではあるが。
 戦術面においてはマンネリにマンネリを繰り返してきたし(地形無視でビュンビュン飛んでチュンチュン撃つ…)、今作での様々な変更も意図としては理解できる。特に、前作はゲームスピードの問題か技術不足か、まともにネット対戦が機能しなくなる所謂ラグアーマーがあった。なのでスピードを落とすのは当然なのだろうと思う。しかし、製作者インタビューを読むと、今作は製作途中で大きな方向転換があり、それによりチームやオンライン要素を追加した経緯があるようだ。筆者はこの事が本作の最大の問題点であると思う。今まで作ってた物と方向転換後に作った物、残したい物と変えたい物の取捨選択を適切に行えなかった様に思う。
 属性・跳弾システム(簡単に言うと得意/不得意の相性を強制的に付ける物)を導入した理由は、チームであることの必然性を生み出す為に役割を与えたかったからだろう。しかし、役割を与えると言う事はある方向に特化する事であり、ACで言うと「自由なパーツの組み換え」という根幹に制限をかける事になる。今までの単機万能という方向性とは真逆である。しかし、今作は路線変更したにもかかわらず、システムの全体的な統一を行わず、万能機用ミッションと役割機用のチーム戦、相反する要素を無理やり共存させている。そもそも属性での役割付けが、世界観・設定・システム、どの部分にも無関係に理由もなく強制的に付けられるので、役割ではなく、ただ単に自由なパーツの組み換えが出来なくなっただけとしか感じない。
 領地戦も同様だ。そもそもなぜ領地戦をやるのか物語や世界観でも全く説明されず動機が不明。従来作品に無かった要素な事もあり、まさに取って付けただけの要素だ。ルール的にもただ領地を取り合うだけで、フリー対戦と比べても、面倒くさい事をしないと出来ないチーム戦でしかない。事実フリー対戦にはチームランクマッチだけが無く、製作側も両者に大した違いが無い事を自認しているのだろう。さらに、待つ事が前提のマッチングシステム、やられると試合終了までまた待たされる仕様。相手がいないと砲台を壊すだけのミッションをしなければならない等、メインコンテンツでありながら有り得ない仕様の数々。そのうえ、巨大兵器と戦うミッションをプレイするには領地をある程度持つ必要があるという、動機の弱さを内容の面白さではなくエサで引っ張る仕様。そもそも一つのウリの部分であるにも関わらず、オフラインの人や出現時刻が決まっているので生活時間が合わない人はプレイする事さえかなわない。
 次にチーム形態について。このゲームはチームに必ず所属しなければならない。最大20人でチームメイトが何をしているかは常にメンバーに解る状態になる。前述の領地戦は上位になるほど常に防衛しないと維持できず、チームへの貢献度が絶えず監視される状態だ。チームの複数加入はできない。チームレベルによってショップの品揃えが決まるので、低レベルチームへの移籍や、新規チームはレベル1からなので、上げ直さないとパーツが買えない。一人だけのチームも可能で、オンラインなら他のユーザーを一時的に傭兵として雇う事が出来るが、情報収集役のオペレーターは雇えず、テキスト/ボイスチャットも仕様不可になり、故に連携をとるのはほぼ不可能。さらに、そもそもこのゲームは意思疎通以前に仲間の装備を見る事さえ出来ない。仮にテキストチャットが可能でも、ログ機能が無く、自分が文字を打つ間は相手の発言が見えず、そのまま消えていくという、前代未聞仕様。前述のチーム主体の属性跳弾システムにより連携が取れない状況は圧倒的に不利だ。チームでは絶えず監視しあい、一人では不利な状況、一時的な移動や複数加入は出来ず、新規はパーツをそろえるのに時間がかかる。知らない人と人間関係を結ぶオンライン環境でこの仕様はかなりきつい。つまり、このゲームはボイスチャットありでオペレーター含むフルメンバーがいて、尚且つネット上の他人ではなく現実の友人等でチームを組む事のみを想定して作られている。そういったチームで遊べたかどうかでこのゲームの印象は180度変わると思う。チームに関しては、他人のチームに勝手に入って領地を捨てる行為が簡単に出来てしまうのも問題であろう。
 武器成長要素について。跳弾システムにより、たとえ1でも値が強い武器が欲しいが、それを手に入れる為には完全運なくじ引き作業をしなくてはならない。しかも直ぐに結果が出るわけではないので本気でやると途方も無い時間がかかる。ショップには他ユーザーが成長させた武器が並ぶシステムがあるが全く機能していない。逆に機能して強い武器が並んだなら誰も武器成長をやらないだろう。その為にわざと機能させていないのだろうか…どちらにせよこのシステムは最初から破綻している。
 傭兵について。評価を上げようと最適化すると、依頼を断らざるを得ない、新人を除外しなければならないという、結果的にゲームが盛り上がらない方向性の仕様。雇い主は傭兵にメッセージを送れるが、傭兵の行動ログを見る前に送らねばならず判断基準が無い。そのうえ受信側は後からまとめて受け取るので誰から来たのか分らない。さらにメッセージ送信は強制であり送らないという選択肢は無い。送るという行為の価値も消失。双方にとって無意味であるが故に初期位置にあるメッセージばかり送られている。
 その他の問題点も触れたい。初期にはマルチプレイ自体が出来ない不具合があったのだが、その時期にユーザーの回線を確認してくれと、ユーザーのせいにするかのような説明。結局、ただのバグでアップデートで直った。DLCでは、ゲームを普通に進めていけば手に入るパーツを販売。チームレベルによるパーツ購入はDLCを買わせる為なのだろうか。初心者、時間が無い人向けだとしても、それはゲーム内で解決する事であろう。同一機体で全てクリアできてしまうミッションの幅の狭さや、酷いUIはシリーズ共通して直す気配すら感じない。
 個人的には領地カスタムはもっと細かく、つまり本当にミッションを作って配信できれば面白い要素になりえたと思う。チーム前提な作りも、プレイヤーの熱量によってチームの組み方、又は一人でやるか選択の幅が増えれば、他の要素も含めて上手く回ると思う。
 少し話しずれるが、密なコミニュケーションを避ける方向で製作されたデモンズ&ダークソウルと、密な関係必須なACVと、意識したのか偶然なのか対比的構造になっていて、尚且つどちらも防御面である一定値上げると敵の攻撃を無効化できることでシステム的に躓いているのは興味深い。
 本作から感じるのは、製作者の強い迷いと諦め、そしてユーザーの想定の甘さである。発売を延期し、クローズドβテストをやり、ユーザーの意見を聞いてもこのような現状であり、製作中に大幅な方向転換をする辺り、製作者自身も何がしたいのか最後まで分らなかったのだろう。つまり、今作も「結局いつものAC」だったのである。いつまでも学ばないのは体験版時に期待してしまった筆者自身も同じである。
 蛇足ながら、何故毎回酷いと思いながらこのシリーズをやってしまうのだろうか考えてみる。たぶんそれは「他に無い」という、この一点に尽きると思う。他社が類似作品を出さないのは、「ガンダム」という最強ロボに勝てないからと、海外受けの悪さだと思う。ロボゲーと言ってもほとんどの場合アニメゲーである。アニメを通ってない、所謂キャラ物ではないロボゲーは実はかなり少ない。この国に住んでいてアニメという楽園から追い出された人達は行き場が無い。(といっても初期ACはデサイン的にはマクロス系であったり、声優人気投票したりそちらによっている部分もある)。この企画が通ったのはPSが出始めた頃の勢いがあった新興メーカーだからこそであろう。それと、演出や見た目ではなくシステムが中心なつくりである事(と言っても、技術力の無さからそれらを充実させる事が出来なかっただけだと思うが)。以上の偶然ともいえる二点が微妙な立ち位置を形成し、その結果の微妙な売り上げにより大手でも小規模でもない希少な中堅会社を維持できているのだと思う。この立ち位置の作風は他に無く、行き場の無い人のオアシスとなっているのだと思う。

ARMORED CORE VERDICT DAY の感想

 2013年9月26日発売。PS3。開発はフロム・ソフトウェア。同じエンジン、アセットを使いまわしたいつも通りの二毛作的/DLC的続編。当然、基本的な部分は変わらず細かい変更を施したのみ。なお筆者はβテストには参加していない。
 今までのAC同様、素材をそのまま流用してのバージョンアップ版を続編っぽく売る商法はいつまでやるのだろうか。  前作からの追加点は新ストーリー、武器腕の復活、パーツの追加、そしてAIをカスタマイズして戦えるUNACを追加。修正点は、マッチングの快適化、武器成長の廃止、まともなテキストチャットの実装。跳弾システムの極端さを緩和。
 修正点に関しては、Vの時に出来て当たり前の部分であるので、そもそも修正と言って良いのか分らない。マッチングが速いといってもあくまでマッチングのみで、それ以外の待ち時間は全く変わらず長い。なぜか相手と同時にミッション終了をしなければいけないので待つ。リスポンが無いのに負けても途中抜け不可で試合終了まで待つ。他人のアセンブル、作戦ファイルを見るのを待つ。戦闘後に一人でも抜けるとチーム解散、組みなおしで待つ。傭兵はそもそも雇用主がいるのかどうかもわからない状態で、雇ってもらえるまで永遠に待たないといけない。領地も無くなりホストとクライアントに差が無いのに待ちや登録を強要する意味は無いはずだ。人数が集まったら自動的にマッチングさせるだけで良いと思う。一応、傭兵過多の時に自動マッチングがあるが稀にしか起こらず不十分。無意味な作業を強要させられる武器成長は廃止で購入時の改造が出来るようになったが、買わないと変化後の数値は見れず非常に面倒。
 ストーリーに関しては、主人公蚊帳の外でオペレーター同士で話が進み、その内の一人が・・・、という前作と全く同じ構造。ミッション数自体は減少し、前作の途中で補給を挟むような長いミッションは廃止。短期決戦なAC戦と違い、長期な戦いが楽しめるはずだが、短くなった為変化に乏しくなった。攻撃力はそこそこだが弾数多めなミッション用パーツの存在意義が無くなった。今回も敵を全滅するだけ、同じ機体でラストボス以外全部クリア出来てしまい、幅の狭さも前作同様。新しく追加されたザコ敵はほとんど居ないので攻略法も同じ。
 UNAC(AIの様な物)は細かく設定でき、このゲームを好むユーザー層とも合った内容である。人間相手にも活躍できて、やりがいもある。今作の唯一の良い点である。が、残念な事に出撃できる機体は一体のみであり、全機UNACでプレイヤーはオペレーターとするにはDLCを購入しないといけない。カスタマイズ出来ない機体なら出撃できるが自分で工夫する事に面白さがあるので意味が無い。単なる見た目等のオマケではなく、新しく作った追加コンテンツでもなく、とうとうゲームの重要な部分に制限をかけて課金させる商売に手を出したのである。この部分は非常に残念である。
 武器腕はギミックは面白いが、ゲーム的には装甲と肩装備と片手を捨てて、タンク脚以外でも移動中&空中でキャノンが撃てるだけで、武器腕ならではの意味はほとんど無い。
 その他、Vの時にあげた問題点は全く変わっていない。相変わらず製作サイドの都合に合わせないと戦えない巨大兵器。UIも全く変えず見難いままで、無駄に画面切り替えが多く、操作するたびに読み込みが入るのも同じ。コンピュータ画面を覗いている演出の為だと思うが、常に画面が青みがかっていてペイント時に正確な色が反映されないのも同じ。こんなちょっとした事も修正されない。そもそも現実でもカメラでモニターを撮影しても色味が変わったりノイズが出るのは昔の話だ。
 開発費回収の為の素材流用、二毛作でほとんど変わらない作品を出してくるのは今までの経験から嫌と言うほど予測できるし、事前情報からも得ている。しかし、まさかここまでとは、というのが正直な感想である。修正点はVにも適用すべきだし、ストーリは変わり映えしない。実質新しい要素はUNACだけである。しかもフルに遊ぶにはさらなる課金が必須。これならVにUNACのDLCを追加すればよかったのではないだろうか。
 つまり、まとめると「結局いつものAC」だったのである。唯一違うのは、毎回酷い思いをしつつ続編でたら買ってしまうのだろうなぁと思うのだが今回は余り思わないことだ。どういうことだろう。単純に疲れたのかもしれないし、数字の隙間をつくV系のシステムが馴染まなかったのだろうか。バランス調整も大事だが、武器のカテゴリ毎の特徴が薄く、無個性化する調整の繰り返しで肝心の遊びがなくなったからだろうか。制限をかけただけの課金要素からだろうか。なんにせよ、行く所まで行った、もうこれまでかなという印象だけが残った。以後このシリーズの続編が出てないが、当然というのが正直な感想である。

Demon's Souls の感想とリメイクへの愚痴

 2009年2月5日発売。PS3。開発はフロム・ソフトウェア。高難度で超硬派。ダークファンタジーのARPG。後にソウルライクと言われる一大ジャンルを生み出した大元の作品。ゲーム業界に与えた影響は計り知れない。
 最近のゲームには珍しく…ムービーを見てるだけなんて無い!有名声優や萌えキャラは居ない!ストーリーで引っ張っていく訳じゃない!親切な説明なんて皆無!雑魚敵でも容赦なく死ぬ!最強の武器なんか無い!システム重視のゲームらしいゲーム!と、ここまで書いてビビビと来た人、ボーレタリア遊園地で僕と握手!気が合いそうです。人を選ぶがこういうゲームは貴重ですよね。
 まず、今まで筆者がプレイしてきた物の中では、「ベイグラントストーリー(2000年2月10日。PS1)」に色々似た印象を受けた。中世ヨーロッパ+ダークファンタジーな世界観、単身でダンジョンに乗り込む、武器防具へのこだわりや、特徴的なネーミング。一般向というより人を選ぶ事等。戦闘部分はシミュレーションっぽくて全然違いますけど。ついでに書くとベイグラはスクウェアには珍しくシステム重視のゲームらしいゲームで、戦闘が全体的にテンポが悪く遅い事以外は好きな作品でした。グラフィックにこだわりがあったし、何より演出が優れていてそれらをひけらかす事無く表現していた。スピード感を上げてアクションに変更し今様にアレンジを加えた続編を作ったなら、きっとデモンズソウルみたいな作品になっていたのではと思う。
 話しをデモンズソウルに戻して本作の面白さを書きたい。一言で言えば「ドキドキ達成感」だと思う。ダークな雰囲気のダンジョンを単身潜入でドキドキ。気持ち悪い敵やマップでドキドキ。音楽は無く、遠くから化け物の雄たけびが聞こえてドキドキ。普通の雑魚にも殺されまくり(改めて書くと物騒な言葉!)なので、盾を構えつつ、敵を一匹ずつおびき出し、死なないようにチクチク進めていき…ドキドキ(でも直ぐ死ぬ)。どうやっても勝てないだろという強敵がうろついているので見つからないようにドキドキ。さらに本作はオートセーブで、なおかつ、いつセーブしているか分からないので、失敗したらデータをロードして…みたいなゲーマーなら必ずやるゲーム的ズルが出来ない!一度死ぬとその場にソウル(お金や経験値的な役割をする重要なもの)が残され、再びその場に行けば回収出来るのだが途中で死ぬと回収不可に。もう一度挑戦させる動機にもなるし、失敗が更に怖くなり超ドキドキ!何度回収できずに叫んだ事か…。終始こんな感じなのでエリア最深部まで進みボスを倒した時の達成感といったら…思わず「やった!」とか「よし!」とか言っちゃいます。中々実生活で言わないゼ!このドキドキと達成感が本作の最大の面白みだと思う。
 次に、本作の特徴でもある「高難度」について書きたい。が、いきなり今までの話と矛盾するような事を書くが、第一印象は言われている程難しくないと感じました。確かに死にまくるが、繰り返せば普通に進める事が出来る。死んでもゲームオーバーにはならず、さらにそんなに大きなペナルティは無いので「死にながら進む」と言うのが普通になる。そして、本作の場合、難易度を「準備をどれだけしたか、どれだけ丁寧に進めたか」と表現できると思います。つまり、ミスはプレイヤーの準備不足、いい加減さに基づくので、失敗=つまんないにはならず、今度はああしてみようと思うようにもっていっている。難易度に関して「ミスはゲームが悪いのではなくてプレイヤーが悪いと思わせる」というのはよく言われる意見ですね。つまり、ミスしまくる事を苦痛にさせず次につなげる工夫がなされているので、死にまくってもそんなに難しいとは思わなかったのです。
 個人的な意見を付け加えると面白さと難易度は、無関係ではないがそれほど密接な関係でもないと思います。なぜなら難しくて全然先に進めなくても、その逆も、プレイする事自体が面白ければ全然OKだからです。しかしストーリー重視やごほうび目的のゲームの場合は「先に進めない=ストーリーが進展しない、ごほうびもらえない」になるので当てはまらないですね。逆に言えばプレイ自体が楽しくないゲームはそこで引っ張るしかないわけです。
 こういった「事前の準備」や、「行動の丁寧さ」で難易度を表現した場合の弱点は「面倒くささ」と、「知った後は作業的」になるの2点だと思います。後者は特に大きな問題点だと思う。本作ではプレイヤーの行動によってマップやキャラ、イベントが変わったり、周回プレイをしないと武器や魔法を全て手に入れられなかったりして、全部を知られる事を多少回避していると思う。しかし、知っているからこそ攻略できる訳でこの問題の解決は相当難しいと思う。この辺の製作側での調整は相当に大変だろうなぁと思います。次回作でどう対処してくるか期待。オンラインプレイがもっとも大きな解決策になっているのではと思うが、これを書いてる時点では筆者は未プレイ。後にオンラインをプレイしたのでそれは後半に書く。
 次に述べたいのはアクションとステータスのバランスが良い点。ARPGでは大概どちらかに寄ってしまい、ステータスが低くてもアクションでごり押し、またはその逆があったりするがそれが無い。操作自体も、先に高難度と書いたので勘違いさせてしまうかもだが、複雑さは無く単純だ。システムを複雑にする事で難易度を上げるような事はしていないというのは素晴らしい点だと思う。それは武器や防具にも現れていて、一般的なRPGより数は多くない。でもこれはアイテム一つ一つが絶妙な性能を持っていて、例えば、攻撃力が高い武器は重く行動がとり難く隙が大きく、攻撃力が低い武器はその逆等、方向性の違いで最強というものは無く、使い方によって初期装備でも十分やっていけるからだ。そこに武器強化もあるので少なさは感じないし、どの装備で冒険するか良い感じで悩ましてくれる。一般的なRPGは単純に攻撃力のみで差別化をするので後に出るものが当然強く、違いを出す為に数を大量に出さなくてはいけないのだと思う。
 次に述べたいのはストーリーで引っ張らないという点。ゲーム内で説明はほとんど無く、ユーザーの想像に任されている。ゲームが他のエンタメと違う「介入できる」という点を考えれば、ストーリーをきっちり固めようとすれば、プレイヤーの介入度合いを下げる事になる。そして見てるだけなら他に映画でもアニメでもあるわけで本来ゲームでやるべき方向性ではないと思う。さらにプレイする体験自体がその人固有のストーリーになるのだから細かい説明は要らないのだ。その点で意図的に説明をしない姿勢は好感が持てる。
 次にボリュームに関してはちょうど良かった。多くも無く少なくも無く、やりこみたい人には周回プレイが楽しめる。ダンジョンはいくつかのポイントで区切られ、中断もしやすい。ボリュームは大きいほど良いという変な潮流にも乗っていないし、「やりこみ」という名の中古対策の作業的な部分もほとんどない(1つ入手が難しいアイテムがありマラソンしている人もいるらしい)。
 次に良くない点を書きたい。上記までは良い点を中心に書いたので悪い部分が無いような印象を受けたかもしれないが、そこまで面白いかと聞かれるとちょっと疑問な点もある。期待しすぎな点もあったと思うし、中盤進めなくてちょっとイラついたのは自分の性格の問題だし、このぼんやりとした疑問は何だろうと暫く考えたが、それは遊びの少なさにあると思う。もっとふざけてもいいというか、硬派過ぎるというか、淡々としているというか、色々なプレイスタイルが出来るので幅があるように見えるが、攻略しようとするとある程度の方向性が似かよってしまう。もっと色んな遊び方が出来ると、前述の「知った後のむなしさ」が消えてさらに良い作品になると思う。でもオンラインやって無いのにこんな事書くのは違うかなとも思う…(泣)
 本作をプレイしての総評を一言で言うと「まともなゲーム」だと思う。高難度とか、超硬派とか書いているが、それは他のゲームとの比較での相対的な評価に過ぎなく、個人的には本作は普通=まともだと思った。単純な回答なんて無く試行錯誤する。繰り返す事によって上手くなる。一人一人のプレイ体験がストーリーになる。それらを手に握ったコントローラーで単純化されたボタンによって操作する。これらは本来、極普通のゲーム体験であると思う。なので本作に向いている人は、ここまで読んでれば当然分かると思うが、ゲーマーである。ゲームマニアじゃないよ。昔を振り返れば、死んで覚える高難度のゲームはむしろ主流だった。なのでレトロゲー好きや、昔はゲームで良く遊んでいたが最近はやら無くなったとかやる物が無いとお嘆きの大人の紳士淑女に。でも、良い点として書いた事も結局は方向性、好みの問題である。ゲームを単なる暇つぶし程度に考えている人や、ゲーム以外の部分(グラフィック、ストーリー)を重要視する人にはお勧めはしません。
 最後に個人的な事を書くと、本作で本当に一番難しいのは顔作成だと思った(笑)。なかなか良いのが作れず、これだけでかなりの時間を食い、中々本編にいけなかった…。結局苦労しても不細工しか作れなかった。ネットで可愛いキャラ作っている人を見て愕然としたゼ!それと敵の死体が静電気を帯びたビニール袋みたいに絡み付いてくるのは何かヤダ!何故こんな仕様に?なんにしても次回作には期待しています。カボタン…。
 上記はオンラインをやる前の感想です。で、オン始めました。はっきり言って面白いです。暗い雰囲気は何処へやら、賑やかで、難易度も一気に下がり、上記に書いたデモンズソウルっぽさは、もう本当に完全になくなります(良いんだか悪いんだか…)。オンをやる前に感じた、知った後のむなしさや、遊びの狭さは見事に吹っ飛んでいます。面白いけど、ある意味ゲームを壊しているともいえる、不思議な感覚。なので、オフで始めて2週目からオンでやるのをお勧め。友達同士で遊んだら何でも楽しいような…そんな面白さです。
 筆者がオンラインゲームをやるのが不慣れだからなのかもしれませんが、面白さもあるけど、全く知らない他人と何かするという事の面倒臭さも感じます。この作品はオンラインのコミュニケーション負荷を減らそうと言う方向性で作られているそうですが、それでもやはり人間関係というのは難しいと思いしらされます。それは、このゲーム特有の関係性による影響もあるのではとも思いました。通常、ゲームは協力とか対戦とか事前に決めてやる、つまりスポーツ的な関係でやる物が多いと思います。一方でこのゲームの場合、意図しない形で相手が侵入してきて、負けると物語が進みません。つまり、物語を進行させたい人にとっては明らかな邪魔者になるので言うならばケンカです。この関係性は相手に対してより憎悪を生むのではないかと思います。といっても、この部分の影響は全体からみると微々たる物ですね。

 2020年11月12日にPS5で本作のリメイクが発売された。PS3版はオンラインサービスが終了してしまったし、またプレイできる環境が出来るのは良いと思う(PS5を手に入れられる人が少なそうだが)。
 幾つかの記事・インタビューを読んだが、製作は元のフロムソフトウェアは関わらず別会社のblue pointが行う様だ。あくまで「外見」部分のみのリメイクで内容的にはリマスターの様にほぼ変えないらしく、北の巨人等の追加要素もなく、ソウル傾向システムも引き継ぐ。だが回復アイテムの所持数、オンライン人数、カメラ動作等の変更はある様だ。PS5の性能をもってしても画質優先モードとフレームレートモードの2つから選ばなければならず、両立が出来ない事は驚いた。さらに、UIのダサさも群を抜いている。初めて見た時は、あくまで製作途中の仮バージョンなのだと思っていたが、それがそのまま本採用になっていて驚いた。
 PS5ではヘルプ機能があり、本作では180本以上のヒント映像が収録されて攻略を手助けするようだ。結局、攻略サイトを見る人は見る物だが製作側が用意するというのはどういう事か。あえてヒントを出さない原作の姿勢を無視している。さらに、フォトモードが実装され(それ自体はいい)撮影中はゲームが止まる、つまりポーズが出来てしまう…。メニューを開いてる時も時間は進み、気を抜けない緊張感があった原作の姿勢を無視している。達成感とは何だったのだろうか…。
 リメイクで最も残念な事は、特典アイテム付きのバージョンが発売される事だ。そのアイテムは新規に追加されるものも含む。達成感を得るための高難易度を標榜している本作では、失敗はプレイヤーのせいと感じて貰う為に徹底的に理不尽さを排除している。ユーザー間で差があるという事は、特典アイテムが無い側が失敗した時に、あのアイテムがあったならと疑念を生じさせた時点で根幹の仕組みが崩れるのだ。こんな特典アイテムが役に立つのは序盤だけでほぼ意味ないから大した影響はないという意見もあるだろうが、そういった細かい仕組みに対しても真摯で忠実な配慮がされた作品だからこそ、カジュアルゲー化、真の意味での雰囲気ゲー化し、形骸化していくゲームへのカウンターとして本作は評価され、後のシリーズにも繋がっていく訳で、これは原作に対する冒涜以外の何物でもなく、同時にとても皮肉な事だと思う。
 因みに元の製作者である宮崎氏は、過去のインタビューでこういったアイテムはやらないと明言しているし、ダクソ2では宮崎氏が関わっておらず、今回のような特典アイテムをやろうとしたがユーザーから猛反発を食らい直前に中止された。PS5版のプロデューサーはやたらと原作に忠実である事を各インタビューでアピールしていたが、全く頓珍漢な結果になっている。同社内の人間でも作品が大切にしてきた事を受け継げないのだから、ましてや別の会社では仕方ない事なのだろうか。

Dark Souls の感想

 2011年9月22日発売。PS3。開発はフロム・ソフトウェア。探索と達成感のダークファンタジーARPG。開発側はそうではないと言っているが、どう見てもデモンズソウルの続編。パブリッシャーが変わるので続編とは言えないのだろう。
 篝火による新システム導入。フィールドがシームレスに、魔法や回復アイテムが回数製に、誓約の登場等が主な変更点。
 まず、発売直後にはオンラインプレイ自体が出来なかったり、数多くのバグや調整不足な点があり、どう考えてもテストプレイ、デバッグをしておらず、開発途中で無理やり発売したと思われる。しかも前作であった大きなバグ(プレイヤーキャラの振りむき時に別の動作を実行すると起きるアレ)がそのまま残っていたりするのは言葉が出ない。PSNの長期大規模障害や東日本大震災の影響も大いにあったと思われるがとても残念だ。直前で一週間だけ発売延期したが、間に合わないが延期も出来ないという切羽詰った状況だったのだろうか。バグはその後のアップデートである程度改善した。
 今作は調整不足と感じる部分が多い。例えば、武器の改造に関して「前作のシステムが外国ではあまり理解されなかったので簡単にする」とインタビューで読み、改造自体は特に難しくなかったので、それは当然「付加ボーナス」に関してだと予想した。ゲームをやってない人に説明するのは難しいので割愛するが、この要素は改造で特に重要なのにも関わらず仕組みが良くわからなかった。が、蓋を開けてみると付加ボーナスは能力補正と名を変え、武器ごとに異なったりして更に複雑になり、改造も「強化」と「進化」と何故か別になり複雑に。そして改造パターンが減り更にその中でも使える物と使えない物がハッキリしてしまい、選択の余地が無くなった。
 他の調整不足を感じる部分はオンラインシステムだ。複雑化した事で上手く回らなくなっている。シームレスになった事、マップが広くなった事、入口出口が複数ある事、ワープ地点の少なさ、篝火と言う中継地点、オンラインプレイ中はそれが使えない事、プレイスタイルによりマッチングレベルの範囲が大きく違う事、生身、亡者の違いがほぼ無い事、誓約による制限。これらを一つ一つ見ると問題点は見えないが、これらが合わさった時に生じる複雑さにより、面倒臭さや、サインのばらけ、プレイスタイルや場の偏り、つまり、ユーザーの分断が生じて非常にマッチングし難い状況になってしまっている。特に生身になり難く、又なる事によるメリットが無い事と、一度クリアすると周回しないともう一度同じ場所ではオンラインプレイが出来ない事によって慢性的なホスト不足に陥っている点はかなり大きい。オンラインシステムはP2P式であることが主な問題点として挙げられているが、むしろこういった複雑さの方がマッチングのし難さを生んでしまっていると思う。
 他にも、鍛冶屋はゲーム上かなり重要な存在なのに対してバラバラに点在し会いに行くのが面倒で、物語りをかなり進めないと出会えない事や、アイテム管理の為の倉庫のUIがゲーム史に残るほどの酷さである事、非同期オンラインとしてかなり面白くこのシリーズ特有のメッセージの種類がパターンも少なく前作から大幅退化してる事、回復をあえて制限しているのに別の本来回復用ではないアイテムが強力な回復アイテムとして使えて、しかも沢山持てる事などが調整不足を感じた。
 DLCに関しては、マップがデモンズのようなステージ式に近い形でとても遊び易く、改めてシームレスフィールドと今作の篝火、オンラインシステムが合ってない事を感じた。新規に登場した魔法がかなり強いのはDLCを導入してない人とのバランス的にどうなのかと思う。新要素の闘技場は、一定時間内に勝利数の多い側が勝つルールだが、このゲームの特性上、一勝したら後は防御か逃げに徹した方が圧倒的に有利。負けた側のリスポンの仕方も非常に不利で挽回はほぼ不可能。勝つ為の最善策が一番ゲスな行為になる仕組みはゲームをやった事無い人が考えたのだろうかと思ってしまう程に酷い。マップによっては完全に逃げ続けられたり、複数戦は非常にマッチングし難い仕組みなのも酷い。
 と、ここまであえて残念な部分を挙げまくったのだが、そんな圧倒的調整不足な作品にもかかわらず、ゲームとしては最高に面白かった。う~ん、どういうことだ。そんじょそこらのゲームには勝てない魅力が詰まっている。デモンズと比較してゲームシステムに幾つかの変更点があるが基本は同じなので、良い部分でデモンズと被る部分は省略する。
 デモンズにはない特徴として篝火がある。これはチェックポイントの様な物で(死んだ場合ここから復活する)、ここで休むと自分/敵の全てが回復/復活し、エスト瓶(回復アイテム)の使用回数も全回復する。いわば仕切り直しのような状態になる。前作の問題点として、高難度であるがゆえに回復アイテムを大量に持ち込む事でのゴリ押し攻略や、またその為の作業を要求される事があった。それらを解決し、ゴリ押しさせずにあくまでフェアに、回復アイテム集め作業からの解放を実現しつつ、敵も復活してしまう事から使うか使わないかの面白い悩み処としても機能している。またチェックポイントとすることで前作のショートカットありきのレベルデザインからの脱却を試みたと思うが、こちらは上記のように特にオンラインでうまくいってるとは思えない。だが、それ以外ではこの仕組みはとてもこのゲームに合っており素晴らしい発明だと思う。
 デモンズ、ダクソと対人戦をやっていると初期の格闘ゲームのような熱さと粗さを感じる。操作は格闘ゲームよりかなり簡単だが、アクションや装備やプレイスタイルによる幅の広さ、奥深さがあり、続編があるならアクション面での進化を期待したい。他作品との更なる差別化にも、大きな魅力の一つにもなると思う。もちろんシングルでのストーリー攻略が成り立つ上での話だ。それがゆえに、バックスタブの仕様は改めて考えてみてもおかしいと思う。同期してないラグ前提なのに瞬間発動&行動ロックの投げ技の様なもので、大ダメージが出せる上に、更にダメージ量を増やす装備品もある。そのうえ投げぬけ、ミスモーションも無い。明らかにやり過ぎだと思う。対戦はひたすらこれを狙うだけになりがちだ。強靭(攻撃を受けてもひるまない力をあらわすパラメーター)の根本的な見直しも必要だ。これの所為で、バクスタをゴリ押しできてしまい、一強状態に拍車をかけている。ネット上にあふれる対戦テクニックの殆どがシステムの隙を突くものばかりなのも初期格闘ゲームのようであり荒さの部分でもある。闘技場の事もそうだが、対戦面に関してが特に調整不足を感じた。スタッフの中に対戦ゲーを好み、かつ詳しい人がいないのだと思われる。
 個人的な事を書くと全体の雰囲気に関して、デモンズでは暗く冷たく、孤独でおぞましい舞台設定で、ホラーゲームのような怖さがあった。今作ではそういった雰囲気はなく、カラッとした印象。キャラクターの色味や、青空がはっきり見える事、サウンドからそういう印象を抱くのかもしれない。前作の雰囲気が好きだったのだが、これは単なる個人の好みなので問題点ではない。
 他にも、アイテム無限持ちは考える楽しみを奪うので残念だとか、属性を増やすなら信仰系は雷属性にすれば色々と都合良くないだろうかとか、基本待ちの白サインのマッチング方法を変えてくれないだろうかとか、デモンズでゲームの癖が分ってしまい難易度を低く感じてしまうので、今までにないパターンで難易度を見せて欲しいとか、良いゲームだけに色々と思ってしまう。
 最後に、今現在はアップデートでほとんどのバグは直っているし、高難度といっても昔からお馴染みの死に覚えゲー(初見は死ぬがパターンが分れば誰でも出来ると言うもの)なので、全てのゲームが好きな人にお勧め出来る作品です!

Dark Souls 2 の感想

 2014年3月13日発売。PS3。開発はフロム・ソフトウェア。ダークファンタジーARPGの続編。ディレクターがおなじみの宮崎氏ではない。最初のソウルライク。
 前作から仕様的に大きな変更はなく細かい調整が多い。サーバー設置、マルチプレイ条件、バックスタブの仕様、二刀流、両刃剣の追加等。
 シリーズ物は前作との比較に終始して悪い部分に目がいきすぎてしまいがちだ。それは前作から引き継いている良かった部分は当たり前として認識し、改めて記述する事をしないからだと思う。だが、大きな変更がなく、良い点は前作、前々作の項に既に書いたので、批判的な内容ばかりが続く事を留意して欲しい。

 まず、発売前の情報として発表された課金武器とボイスチャットについて。このシリーズには「達成感」と「緩いつながり」という2つの重要なコンセプトがあり、デモンズの頃から開発者自身がインタビューで何度も言及している。サーバー設置時点で維持費の為のDLCはあると予想はしていたがまさかの武器。金で攻略を買って達成感とはどういう事なのだろうか。店舗特典を付けて販売店へより多く売りたいのはわかるが、重要なコンセプトを破壊してまでやることなのだろうか。しかも前任者のインタビューではやらないと明言していたのにだ。ボイスチャットは、あえてプレイヤー間での密なやり取りを制限する事で「ゆるさ」を作ってるのにどういう事なのだろう。後に、武器DLCに関しては相当批判されたのか、個別販売・パラメーター違いはせずに、誰でもゲーム内で手に入る様に変更された。チャットは残念だがそのまま。発売前の時点で既に不安になっていた。

 続いて「達成感」について。このゲームは前作から篝火を中心に作られている。篝火は回復&チェックポイントであるが、使用すると敵も同様に復活&回復してしまう。回復するか先に進むか戻るか、ゲーム的には面白い悩み所である。が、今回は篝火自体がボス直前をはじめ豊富に設置されていて、いつでもどこでもワープ可能。簡単に商店や鍛冶屋でアイテム補充や強化をしてボス直前へ戻って来れる。前作で問題視されたワープの少なさは、単なる移動をするにも非常に面倒だった事への批判であり、今作のような全箇所に最初から無条件でワープ出来るのは、達成感だけでなくシームレスの意味や探索も否定している。さらに、回復アイテムの回数制により、回復アイテム集めの強要や大量持ち込みでのゴリ押しを制限し、その中での工夫を生む良く練られたシステムなのだが、今作は、HP・魔法回復アイテムが無限に買えたり拾えたり、豊富に手に入ってしまい簡単にゴリ押しできる。さらに敵は何回か倒すと以降復活しなくなる。敵が消えたらどうやって達成感を得るのか。さらにデスペナルティを完全無効化するアイテムも無限に使えてしまう。デスペナは言葉通りにプレイヤーに罰を与えるのが目的ではない。死んで終わりではなく、次のプレイへの動機や緊張感の持続、取り戻す事での達成感に必要なものだ。この様に、本来「達成感を得る為に用意された乗り越えるべき試練」をことごとく破壊してしまっている。
 敵に関しても同様な事が言える。見た目や場所から特徴が類推できず、なぜかパリィできない、できなそうでできる、できるけど致命の一撃はできない。なぜか盾貫通攻撃、見た目とは大きく違う攻撃の当たり判定、回転テーブルに乗っているかのように棒立ちのまま(或は倒れたまま)方向転換、一部の敵配置や、周回プレイ時の敵の強くなり方は枯れる事を前提の調整なのか極端で、ステータスは異様に上がるが、敵AI自体は変わらないので、難しさより時間がかかって面倒くさい方が先に立ってしまう。プレイヤーキャラと同型の敵はなぜか全ての行動がキャンセル可能で、ありえない動きで攻撃してくる。等々、設定が整理されていない。このゲームだけに限らないが、敵だけ有利な条件を付けるのは単にチーター相手に戦っているのと同じで理不尽さしか感じない。難しさにおいて「失敗はゲームの所為ではなくプレイヤーの所為」と思わせるために理不尽さを徹底的に排除するのが重要であると前任者は語っていたのだが全く理解されていないようだ。
 敵だけでなく味方NPCにも同様な事が言え、強いAIが作れないからなのか、プレイヤーキャラではありえないほどの高いHPを持たせAIの貧弱さをごまかしている(そうしないとすぐやられる)。
 死ぬ度にプレイヤーの最大HPが減少し難易度が上昇していくが、その状態では協力者は呼べないが敵対者は来る。デモンズでも一度死ぬとHPは減るが侵入者は来ないし、協力プレイが成功すれば生身に戻れた(本作では戻れなかったが後に改善)。HP最大値を回復し協力者を呼ぶためのアイテムは有限。達成感は難所に何度も挑戦してクリアできた時に得られる物だ。挑戦自体が何度も出来ないのはそれを妨げる事にならないだろうか。新規プレイヤーに配慮するならこの部分こそ改善が必要だろう。総じて達成感に関しては制限する部分と緩和する部分を履き違えていると思う。

 次にオンラインのコンセプト「緩いつながり」について。前作の項でも書いた通りオンラインが上手く回っていたとは思えない。それはサーバーが無いP2P式だけの問題ではなく、ルールその物にも問題がある。結局の所、このゲームは対戦と協力の2種類しか無いのに、マッチング条件がとても複雑であるのに対して、それを調節するシステムが一切ないからだ。つまり、プレイヤー側で工夫しなければオンライン上にどんなに人がいても孤立してしまうのだ。恐ろしい事に本作は「強制的にホストをやらせる」事でこれを解決しようとした。デモンズがマッチングし易いのは、サーバーの事もあるがルールがシンプルで分断が起きにくかった事もあると思う。
 強制ホスト化により今までの様にクライアント側だけやり続ける事は出来なくなった。他にもクライアントは、協力プレイでは時間制限を設け回転率を上げることで、敵対プレイはそのために必要なアイテムに制限をかけることで偏りを抑えようとしている。ホスト側は、一度ボスを倒すとホストになれなくなるが、ボスを復活させ再びホストになれるアイテムを登場させ(周回時の様に敵が強化される)、さらに何度もこのアイテムを使わないと手に入らない希少アイテムも追加し、ホスト増加を促している。これはよくあるボリュームの水増し、中古対策そのもので、そういう事をやらないのが良い所だったのに残念である。
 上記の様に、製作側の想定したプレイを強制させられる仕様を「ゆるい繋がり」とは言わない。前任者のインタビューによれば、密なコミュニケーションを避ける目的で考えられたシステムなのに、今作では無理やり他人とつき合わされるのだ。「嫌ならオフラインでやれ」が製作者の意図なのだろうか。その場合は、血文字や血痕等のシステムが使えなくなる。更に今作はマッチング条件にソウル取得量があり、これは普通にプレイしていればどんどん増えていくので、プレイヤーの強さとは関係なしにマッチングさせられることを意味する。事実、今作ではいつでもどこでも敵対プレイヤーと戦わせられる上に、圧倒的な差があるプレイヤーと何度も戦わさせられた。初心者狩り対策とも考えられるが、前作では初心者の頃にはそもそも生身を維持できないし、やりたくなければユーザー側で選べたのだから対策にはなっていないし事実出来ていない。そもそもこのゲームは圧倒的にレベル差より装備差の方が大きく、プレイヤーの能力値は単なる装備条件で、条件が厳しい武器ほど強いわけではないというシステムがおかしいのであって、ソウル量でマッチングを分けることに根拠がない。マッチングを強制化する一方で、一週目と二週目以降のプレイヤーはマッチングできず、一週目の過疎化が激しい。ホストを再びできるアイテムにより周回時にしか手に入らないアイテムを一周目で手にできたり、クリアしても自動的に周回プレイに移行しなかったり、周回プレイに行かない状態でしか購入できないアイテムがあったり、周回してほしいのかほしくないのかわからない(後に周回による制限は撤廃)。オンラインに関しても総じて制限する部分と緩和する部分を間違えていると思う。

 次に操作性について。このシリーズの難易度の作り方は、圧倒的な敵の攻撃力に対して、圧倒的なプレイヤーキャラの防御・回避能力の組み合わせだ。確かに敵は強いのでプレイヤーははすぐやられてしまう。しかし、プレイヤーキャラはどんな攻撃もガード或いは回避して完全にノーダメージに出来てしまう能力を最初から持っていて、それを何の条件もなく簡単に素早く行える。なので、敵を良く観察して慎重に行動すれば、つまり慣れれば自然とクリアできる様になっているのだ。よくこのシリーズは難しいと表現されるが、最適解が直ぐにはわからないだけで厳密に言えば難しい訳ではないと思う。難易度が高い物を作るというのはちゃんとクリア出来るように作るという事だ。この一般的なゲームではありえない極端な仕様は当然設定ミスではなく、「失敗はゲームが悪いのではなくプレイヤーの所為」と思われる様にする為だ。特に達成感をコンセプトに掲げているなら尚の事である。ちなみに対プレイヤーでは意味が変わってしまう。防御・回避能力が高い同士の対戦になるので、一方が守りに徹すると中々それを崩せないというシリーズ通しての問題が残る。本作でも解決されなかった。
 しかし今作は違う。適応力というステータスがあり、これを上げないと「敏捷」という数値が上がらず動作が遅かったり回避可能時間が短かったりする。プレイヤーが上手くなるのではなく、数値を上げないと操作にストレスがあるのだ。というか上げても動作は遅く、盾を構えるのも、回復するのも遅い。「適応力を上げていれば(または前作なら)その攻撃は食らわなかったのに」という事を筆者は多々経験した。操作性を悪くして難易度を上げるというのは本シリーズのコンセプトの真逆を行っていると思う。前任者はインタビューで特に気をつけた点で挙げていたのに。
 さらにコントローラーの入力受けつけ時間が、前過ぎたり後過ぎたりバラバラな上に、連続的な動作時に直前の入力が残って時間差で行動したりする。特大武器の方向転換の挙動や、ロック切り替え時のカメラの動きや、ロック対象範囲もいい加減。普段アクションゲームを全くやらない人間が作ったのかと思うほどに酷く、修正されていない。

 以上が、今作の製作者がコンセプトを理解していないと筆者が感じた理由である。しかし、当然だが前作を必ず踏襲しなくてはいけないとは思っていない。新しい要素を入れることによって整合性がとれなくなった古い部分があるなら変えるべきだし、それが進化というものである。だが最初に書いたようにそもそも新しい要素は何も無い。
 前作の項にも書いたが、難易度の作り方が同じなので罠や敵の行動パターンが直ぐに理解でき、対処法が簡単に分ってしまう。しかも今作内だけでも似たような敵が多く、結局前作同様、盾を構え敵の回りをグルグル回っていた。「見た目」は確かに前作と違うのだが、やる事は全く同じ。マップで言えば、前作のように色んな場所がつながっている立体構造ではなく、完全に独立した構造。マップ単体で見てもほぼ一本道。毒、溶岩、暗闇等、前作と同じようなエリアはあっても今作ならではのエリアや仕掛けは無い。新しい場所なはずなのに前作で言うあの場所と同じ。
 装備品についても全体数は増えたが、微妙なパラメーター違いや、テクスチャ違い、取って付けた様な前作からの流用品もある。防具は相変わらず強化法にしてもパラメーターにしても、武器以上に差別化が計れていない。モーションの作り直しも新しい動きが出来る訳ではなく見た目が違うだけでしかない。二刀流はゲーム的には両手持ちと同様、盾で防御ができない分、攻撃力は上がるというものである。ほとんどの武器で二刀流が可能だが、かなり無理矢理なモーションもあり、一方で武器固有のモーションは減っている。モーション作り直しと合わせてリソースの割き方を間違えている。両手持ちすると不自然な武器(拳、短剣)は二刀流が出来る、とかで良かったと思う。唯一新しいのは両刃剣という武器種の追加ぐらいだろうか。敵キャラクターの「ハイデの騎士」は今までとは明らかに違うステップやフェイントっぽい攻撃があり新しさを感じたが、プレイヤーはそういう動きは出来ず、もったいない。
 物語面ではシリーズ通してストーリー性は薄く、断片的な情報によりユーザーが想像を楽しむ部分が大きい傾向があったが、今作はあまりに薄く想像の余地も無い。今、主人公が何に向かっているのか把握しづらく、ただ行ける場所が増えたから行っただけな事が多く(DLCはこれが更に顕著)、クリアした後も結局何をしたかったのか分らなかった。特にラストブス、じゃなかったラストボスからエンディングの流れは、あまりの唐突感に只々呆然とした。NPCも個性が薄く、数回会話すると拠点に集合し、以降何の展開も無い。開発時に語られていた「刻システム」という物が全く存在しない所を見ると、大幅にカットされたか路線変更されたのだと思う。キャラクターや装備品等、全てにおいて言える事だが、何故そこにあるのか何故そこにいるのかわからず、キャラクター・世界観・設定面でも全く練られておらず中途半端な物になった。以上の理由から、新しさを全く感じる事ができなかったのである。

 他にも問題点はある。前作もそうだが、強靭(攻撃を受けた際に怯まずにいられる度合い)が低いと殴り続けられ、高いとゴリ押しが出来る極端さはそのまま。バックスタブ無効等のゲーム要素そのものをなくす極端な装備品。数を増やしただけで特徴や多様性を無視している属性。裸に意味を持たせるために考えられた竜体になぜか装備品。DLCは一部マルチ時に進行不可になるマップ構造がある。そもそもDLCは出さないと言ってたのは何だったのだろう。前作とは違いインストール対応なのに、メニュー画面を開くだけでロードが入り、アイコン表示さえ遅い。NPCとの会話も同様。死ぬ度、移動の度に長いロード。そして毎度酷いUI。自分のHPさえ見れない。倉庫は今作も酷く、必要な数値が特定の画面でしか見れない。今作も前作・前々作と同じ、2つのモーションが同時に起きた時に発生するバグが残っている。テストしないのだろうか。
 良かった点はバックスタブに予備動作が加わり、対戦においてバクスタを取り合うだけになりにくい事ぐらいだろうか(と言っても効果は薄いし、ローリング中にバクスタを取れる様になったのでむしろ酷くなったかも)。細かい部分を上げると、梯子の昇降、ソウルまとめ使用、篝火に触れるだけで修理、プレイヤーとカメラの間にあるオブジェクトが半透明化して見易い、フレームレートの安定化とかだろうか(これは本来当たり前の事だが)。グラフィックに関しては光と影の表現に拘った様で松明をやたらと推していたが、その分空気感が無くなり(特に湿気)、結果的に良くなったとも悪くなったとも言えない。そもそも松明は場所によっては影が表示されず、中途半端な実装だ。

 と、ここまで批判ばかり書いてきたが、初見は色んな仕様に不満はありつつも前作から引き継いでる良さもあるのでそれなりに楽しめた。細部を気にしない人や過去作をプレイしていない人は十分楽しめると思うが、細部にゲームの面白さが宿る事を知っている人向けのシリーズであったことも確かだとも思う。上記にも書いたように進化も新しい事も無く、窮屈で面倒くさい要素もあり、発売前の不安が的中してしまったのは非常に残念だ。発売前のネットワークテストに参加はしたが、製品版仕様でも無く、一部エリアを短時間プレイしただけでは何も分からないまま終わるだけであった。本当にネットワークのテストにしかならない。
 今作から感じるのは雑さである。クリア率が低いから無理やりでも一周目の難易度を下げよう、マッチングし難かったから強制的にマッチングさせよう、あとは前作を適当に真似れば良いだろうと言わんばかりの雑さである。コンセプトを理解せず、その場しのぎの思い付きで改変した為に上記の様な状態になっていると思う。一見前作を踏襲している様で、実際はコンセプトが継承されずブレてしまっている続編、つまり「いつものフロム」なのである。同社のアーマードコアシリーズをやっていれば分かる通り、劣化コピーで量産する作風が“フロムなのにちゃんとしている”はずだったこのシリーズにも導入されてしまったわけだ。
 つまりこれは最初のソウルライクなのである。当然だが本家にライクを使うのは間違っている。近年は「死にゲー」等と言われ、コンセプトを理解しておらず、ただ難しいだけのゲームが似た作品として量産されるようになった。そして本家すらもただ難しい選ばれた人のゲームのように扱われることさえある。しかし、その最初のきっかけを作ってしまったのは「Dark Souls 2」なのだからどうしようもない。今までシリーズを牽引してきた宮崎氏がいない事がこんなにも影響を及ぼす物なのだろうか。当然ながらゲームは大多数のチームで作るものだ。宮崎氏は達成感を目指しているのであって難しいゲームを作ろうとしている訳では無いとインタビュー毎に発言している。
 「Dark Soul 3」では宮崎氏が再びディレクターに戻るようだが、仕様も全く明かされていない最初期のインタビューで「敏捷」をあっさりと否定していて苦笑した。

VANQUISH の感想

 2010年10月21日発売。PS3。開発はプラチナゲームズ。和製TPS。
 筆者はTPS、FPSプレイヤーではないので他作品との詳細な比較は出来ません。その上で書くと、和製を意識してなのか、主人公キャラが特撮ヒーローの様なスーツを着ていて、敵キャラも基本ロボット。スーツの効果でダッシュが出来る。自分以外の時間をゆっくり進めて攻撃できる。ですが主人公が結構残酷なやられ方をするのでそういう意識は無いのかもしれません。
 プレイした印象はいたって普通、と言うか予想通りバリバリ撃っていきます。ハッキリ言ってお話は良く分かりません(笑)。いったい今何をしていて何処に進もうとしているのか分かりませんが全然大丈夫!ゲーム的には敵を倒して行けばテンポよくドンドン進んでアッサリ終わります。物足りないと言う人もいるかもしれませんが、色んな要素を中途半端に詰め込んでダラダラプレイさせる物が多い中、オンライン要素も無く、この潔さには好感触でした。
 しかし、それを埋める為なのか、お決まりの「カサ増し」要素で、マップに隠されている特定の物を撃つと云々、○○を××で□□体倒せ等の作業トロフィーがあります。繰り返し、長く遊んで欲しいならそれ相当の遊びを入れる事が必要なのであって、こういったものは感心できません。
 ゲーム内容自体はとにかく撃ちまくるだけで、グラフィックも綺麗で、爽快感があります。ダッシュも前述のスロウも上手く出来るとかっこよいです。難易度が自由に選べ、最も簡単なカジュアルオートでは勝手にロックしてくれるので本当爽快です。しかし目的のところに上手くロックオンしてくれない時があったりしてイラつく事もありますが。このモード、確かに簡単なのですが爽快感が上回り他の難易度と比べて一番面白かったです。何とも皮肉な結果です。難しくなるにつれ爽快感が減り、ちまちまと作業プレイになりつまらなく感じてしまいました。コアプレーヤー向けにチャレンジモードが在るのですが、特にこのモードがそれを感じさせます。これは難しいと言うよりは運や偶然の要素が多く、爽快感も薄れ本当に作業。ゲームが上手くなっているという実感も無く、クリアしても達成感と言うよりはやっと終わったと言う開放感を感じてしまいます。デモンズソウルをやって感じた難易度とはまったく別の後味の悪い難易度です。こちらの方が所謂「マゾゲー」の名にふさわしいと思います。
 他に細かい点ですが、言語が日本語、英語以外にも色々選べるのですが日本語吹き替えにすると、口と音声が全く合っていません。ムービーは基本英語で作ってあるようですがここまで合ってないというのは、恐らく作業的に、日程的に難しかったんでしょうか…。  それとムービーは飛ばせるのですが、チャプターが終わるごとに入るイベントシーンが飛ばせず、繰り返しプレイ時にはイラついてしまいました。QTE(ムービー中に特定のボタンを押す、アクションゲームではお馴染みのアレ)も、もはや面度くさいだけでした。エンディングは遊び心満載ですがゲーム本編はアッサリしている為、そんなの作ってる暇があったら…と思わずにいられません。製作者のインタビューによると時間が足りずにやり残した事が色々あるそうですが、内容の少なさはそこからきているのかもしれません。
 いくつかの場面で「ゴッドハンド」を思わせるところがあったりしてプレイしていた筆者としてはおっと思う部分がありました。クローバースタジオの名残でしょうか。
 そして残念な要素ですがDLCで武器が売っています。ゲームの内容に直接影響の無いおまけ要素ならともかく、重要な武器が別売り。中古対策も分かりますがこれはとても残念な要素です。
 まとめとしては、細かい事考えずにサクッと爽快感が味わえて中々面白いです。ですが内容が薄くてアッサリし過ぎてると思う人もいると思います。

HEAVY RAIN 心の軋むとき の感想

 2010年2月18日発売。PS3。開発はフランスのQuantic Dream。「折り紙殺人事件」を通して4人の人物の活躍が描かれるミステリーアドベンチャー。美しいグラフィック、独特のゲームシステムや操作法、ハードでシリアスな物語が特徴。
 「映画みたいなゲーム」と聞いてどういうイメージを持つでしょうか?筆者はハードの性能の向上によって映画的手法の導入がしやすくなった結果生まれ、しかしその実態はゲーム性をおろそかにし、そのうえ実際には映画に到底及ばないというイメージを持っています。しかし今作は、それを覆す意味での「映画みたいなゲーム」です。
 ゲームの流れとしてはストーリーを見せるのが中心で、プレイヤーは合間の移動やQTEと限定的です。しかし見てるだけの所謂ムービーゲーにはなってません。それは、物語、画の説得力、操作法の3つの理由からだと思います。
 まず物語について。本来は当たり前なのですが話がきっちりとしています(笑・ありがちな荒唐無稽、ご都合主義ではないという程度の意味です)。さらに先が気になる展開が連続すること、よくある本筋とは関係ない要素でカサ増しする様な事全くしておらず、物語に集中できます。
 次に画の説得力。実写とまではいかないまでもかなりリアルかつ綺麗なグラフィックで舞台の中心となる2011年のアメリカを表現しています。ただ綺麗なだけでなく、人物、建物、道、小物、天候、人ごみ…実際にこういう場があるのだろうと思わせるほどに作りこまれています。特に人ごみはちゃんと「人ごみ」しています!そして、キャラクターがちゃんと芝居をしています。棒立ちトークや、不自然なモーションのリピートなんてありません。特典映像を見るとモーションキャプチャーにはかなり時間をかけて作った様です。カメラも俯瞰視点で固定なんてなく、顔の表情もアップで写っても違和感はほとんどありません。ローカライズもしっかりしていて普通に洋画を見てるようです。しかもメインのキャラだけでなく、通行人や一瞬しか写らない人や、人々の集団もちゃんと芝居をしていて良く動きます。凄いです。
 次は操作。かなり独特です。基本QTEなのですがイキナリ出て、今までの操作法と関連のないボタンを押させられ、失敗したら即死。なんて物ではなく、キャラクターがとろうとしている行動にあわせてスティックを倒したり、コントローラーを振ったり、傾けたりします。 例えば冷蔵庫にあるジュースを飲む時に、普通のゲームならボタン一つで済ます所を、冷蔵庫を開ける時に、開けるように右スティックを動かし…、ジュースのパックを持ち上げる、振る(実際振る・笑)、飲む、置く、冷蔵庫閉める等、一つ一つをボタン、スティック、モーションセンサー(6軸操作)で操作します。こう書かれると面倒くさそうですが、現実の動きに似せた操作なので不思議と違和感が少なく、キャラクターとの一体感、ゲームの没入感に貢献している!…というのは製作側の意図を好意的にくみすぎですが、新鮮さと相まってなかなか面白い操作だと思いました。同じ操作を何度も繰り返したりはしないし、操作する部分自体も少ないので面倒くささはそれほど感じません。
 以上の要素により、ドラマを見せる事を中心に据えながらただ見てるだけにはなっていないゲームを作り出す事に成功していると思います。
 他の良い点として、細かい配慮が見られます。メニュー、ポーズ、ロード時の画面のデザインが世界観に合わせてあって秀逸です。他にもトロフィー取得表示がロード中にしか出ないようになっています。物語が深刻な展開の時に「ピロリン!」という音と共にトロフィー獲得表示が出ると興ざめになることを配慮しての仕様だと思いますが、すばらしいと思いました。かなり細かい事ですがこういう事にまで気を配っているゲームは少ないのは本当に残念な事です。見習って欲しい。
 斬新なところが目立つ作品ではありますが残念な部分も幾つかあります。キャラクターの思考が文字となって浮かび上がり、それを選択する事で、ストーリーが進んだり、ゲームのヒントが見れたり、キャラの感情が垣間見えたりします。この文字が場所によって非常に小さくて見難いです。ゲームの中では重要なシステムなのに判別不可な所もあり非常に残念。
 次にストーリー上で幾つかの分岐があり、選択によって違う話が楽しめるので当然繰り返し遊ぶ事になります。ですが、ムービーをカットする機能などが無く、分岐点までは同じ操作を繰り返さなければなりません。
 QTE操作では、前述のような操作が殆んどですが、一部格闘シーン等ではよくあるボタンを押すだけだったりして残念です。他に操作面ではコントローラーを傾けたり振ったりする6軸操作が非常にシビアです。ゲームの内容的にはライトユーザーからヘビーユーザーまで幅広く対応できる作品なのに対して、この操作はかなり厳しいと思います。要は慣れで、何度か練習して6軸操作の曖昧な入力に対してのコツさえつかめば大丈夫なのですが、それまでは厳しいです。ゲームオーバーという概念がなく、失敗しても物語は進むのと、難易度調整で操作が簡略化されるので、この為に進めなくなるということはありません。ありがちな難易度HARDじゃないと○○が出来ないとかもありません。分岐のストーリーを見たい時には、上記のムービーカットが無いのと合わせて結構イラつくかもしれません。
 次に、とても興味深いストーリーなのですが、クリア後に改めて考えてみると、あの伏線はどうなった?この部分無理が無いか?と疑問に思う点が幾つかあります。特に前半で振られた話が後半では全く出てこないというのが多いです。語られなかった部分はDLCの追加エピソードで回収されるのかと思いましたが、そういう訳でもないらしく1つのみの配信で終了しています。筆者は未プレイです。
 そして、日本版は幾つかの性的表現がカットされているのですが、これは非常に残念です。こういうゲームはストーリーが何よりも大切で、それを少しでもより良く表現するための性描写ならカットするべきではありません。なにより作品とそれを受け取るユーザーを侮辱する行為だと思うし…決してエロシーンが見たかったとかではないし…マジで、絶対、断じてです。チッ。
 さらに、発売当初は致命的なフリーズがあり、パッチで殆んどは直ったようですが完全ではない様です。筆者は何度かフリーズしました。再起動したら大丈夫な物と、何度やっても同じ所でフリーズする場合があり、その場合は少し前のチャプターから始めるとフリーズが回避できました。
 いくつかの残念な所はありますが、基本的には斬新さと、美しさと、人間ドラマの魅力にあふれています。物語はハードなのでお子様には勧めませんが、それ以外の人ならライト/ヘビーユーザー問わず楽しめると思いますし、何よりこういうゲームもあるんだということを知って欲しいと思うゲームです。
 個人的には、とにかくストーリーが秀逸で先が気になってプレイし続けてしまい、最後まで一気にやってしまいました。既存のゲームシステムと大きく違うので、所謂ゲームアルアルが通じなく、ここをこうやったらこうなるんだろうなという予測がつかなくて、かなりドキドキしました。ストーリーに関係ないものをゴチャゴチャ付けてプレイ時間を延ばす様なことも無く、物語に浸れる大人向けのゲームだと思いました。
 この作品が気に入ったのなら、同じ会社が作った「BEYOND: Two Souls」もお勧めです。続編ではありませんが、同じフォーマットで作られています。表現力はさらに向上し、独特の操作性はおとなしめに、物語はSF(ちょっと荒唐無稽に感じるかも)になっています。主演の二人はハリウッドで活躍する映画俳優を採用していて、何よりエレン・ペイジが好きになると思います。

Blades of Time の感想

 2012年3月8日発売。PS3。開発はロシアのGaijin Entertainment。時間を操作できるタイムリワインドが特徴のアクションゲーム。
 前作のX-Blade-(筆者は未プレイ)からグラフィックをリアル路線へ変更。日本版のプロデューサーのインタビューからすると、前作のアニメ絵は製作会社の日本リスペクトかららしいが、今作は世界を意識した結果変更したらしい(まぁ、そういうもんだよね)。
 所謂良くある3Dアクションで、剣で切ったり銃で撃ったり魔法ブッパしたり謎解きしたりして物語を進めていく。剣、銃、魔法のバランスは良く、ありがちなどれか一つがやたら強い弱いが無く好印象。難易度は同類の物からすると低めだと思う(あくまで個人的な感想だが)。HARDモードもあるが大きく違いはない。謎解きも一見戸惑うが仕組みに気づいてしまえば悩まない。
 本作の最大の特徴は時間操作である。逆にこれがないと余りにも普通すぎると思う。時間を巻き戻し、過去の自分と現在の自分と共闘する。使用は工夫が必要だが、重複使用もでき、時間や自分と敵の位置、行動を上手く把握し、敵を一掃出来た時はかなり爽快である。時間を戻せるというある意味反則的な能力なためか上手く使うとかなり一方的な戦い方が出来るので、慣れると難易度はぐっと下がる。
 ストーリーモードはやはり一度クリアしてしまうと再プレイする気になれないが、「アウトブレイク」というオンラインモードは単純なルールのミニゲームで協力対戦ができ、繰り返し遊ぶのにちょうど良い。ストーリーとは全く関係しない要素ではあるが、遊ぶ毎に武器、装備、能力強化の報酬がもらえ、更に難易度が高いモードにチャレンジできる…と、再挑戦させる為の仕組みのバランスが絶妙でついつい何度もプレーしてしまう。この絶妙なバランスは時間操作と並んで本作の優れた部分と感じた。残念なのはこのモードでは最大の特徴である時間操作が出来ない事だ。技術的には可能だそうだが、ゲームが複雑化するので避けたらしい。それと、ストーリーモードよりはるかに強い武器が手に入る事や、報酬の豊富さ、難易度の高さ(最高難度はストーリーとは比べものにならないほど難しく、充分強化してからでないとクリアは不可なほど)と、前述の絶妙な導入バランスから、このゲームのプレイ時間の殆んどはこのモードばかりなので時間操作の事を忘れてしまうのが玉に瑕。
 悪い部分としては当たり判定がかなり大雑把。どう考えても避けた攻撃に当たったりするのはどうかと。それとバグが多く、特にオンラインモードはよくフリーズする。バグにより取れない報酬もあるらしい。それと対戦のバランス。プレイヤー同士がかなり拮抗した状態でないと一方的な試合になってしまう。なのでレベル差がある相手とマッチングした場合、ゲームを開始せずにマッチングを抜けるという行為が常態化している。アウトブレイクの報酬条件や一部アイテムの効果が説明不足なのも残念な部分だ。音量バランスも変でボイスが聞き取りにくく、そのうえ一部のボイスがSE扱いになっているので、オプションの音量変更でも調節できないという不思議仕様。それと細かいところではあるが、なぜか画面が魚眼レンズを通したような歪みが少しあるのでプレイ当初は見難く感じた(慣れたけど)。
 次に日本版について書きたい。前作から引き続いての主人公役の声優は筆者は詳しくないが一部ではアイドル的に人気のある方らしい。そういうファンを釣るような事には予算を使う割に、日本版は売る気が全くないようで、全く宣伝もされてないし、公式サイトも適当。作った人は怒っていいレベル。日本愛のある人達の、あまりみかけないロシアからの作品なのにこんな扱いだとがっかりすると思う。そんな宣伝なんて知ったこっちゃないという御仁も居られるだろうが、オンライン要素が有るゲームでは重要なのです。なぜならこのゲーム発売日から過疎ってます(泣)。全然マッチングできない…。前述の仕様により対戦もやりにくく、報酬を得るためには談合必須です(笑)。まぁいわゆるマイナーなゲームなので過疎は宿命ともいえます。
 まとめとしては、特筆する部分はないが特別酷い部分もなく普通に遊べる良作で、3Dアクション好きなら手を出しても良いと思う作品です。

PlayStation Home の感想

 2008年12月11日運営開始、2015年3月31日終了。PS3。開発はソニー・コンピュータエンタテインメント(以下、SCE)。アバターと呼ばれる自分の分身を作り、ラウンジと呼ばれる3D空間で他のユーザー同士集まり、ゲームしたり会話したりする。ゲームというよりはコミニュケーションツールといった方がいいかもしれない。
 PSNアカウントさえあれば直ぐにダウンロードして無料で遊べる。アバターに着せる服や家具のアイテムやゲームは、無料で手に入る物もあるが、殆どは課金制。β版と書かれていたが最後までその表記は取れなかった。
 ざっと遊んでみての第一印象は「やる気ねぇー!」である。β版だからとはいえサービス期間も長いのにこれはどうかと。人がいないからなのか、利益が出ていないからなのか、宣伝効果もないからなのか色んな物のつくり込みが残念である。SCEは勿論、有名メーカーのラウンジが勢ぞろい!なんてことはなく、中小の海外・国内メーカーの幾つかが参入している程度。偶に期間限定で出されるラウンジもある。
 先ずはラウンジについて。ラウンジは大きく二つに分ける事が出来る。一つは、サービス開始当初は盛り上がったのか盛り上げたかったのか、セカンドライフみたいな事がしたかったのか、その時期に公開したものの以後完全放置されて廃墟化しているラウンジ。もう一つは、課金ゲーム・アイテムで更新を続けているラウンジ。廃墟となっているところは本当に酷い!全く誰もいないし、ラウンジ内の情報が2009年辺りで止まっていて、古いソフトの宣伝のビデオが再生され続けるだけ…。音も基本ないし、動く物も存在しない。準備中になったままの店も在ったり。何か怖い…。続ける意味は?サーバー代とか掛かるんじゃないの?疑問は尽きない。ある意味一度は観ておくべき物かも…。SCEのラウンジの放置が一番多い事からして、恐らくこういうラウンジもつぶしてしまうと、ただでさえ少ないラウンジが更に少なくなるので、止めるに止められないのかもしれない。
 課金ゲータイプのラウンジは結構人がいる。ゲームといっても課金システムもそうだが内容はソーシャルゲームのようなミニゲーム集だ。よく出来ている物でもPS1にも及ばない程度(勿論課金しないと圧倒的に不利でちゃんとは遊べない)である。これらのミニゲームをクリア、又は一定条件を満たすと、リワードアイテムといわれる課金アイテムとは別の特別な物が貰えるので、それも人を集めている一因だと思う。無料の範囲内でゲームをやっても、それなりではあるがリワードアイテムが貰える。
 次にアバター。このHome自体が海外の開発だからなのかキャラクターはどう調節しても西洋人風にしかならず、細かい調節も出来ない。デザイン的にもUIも海外風味で、ラウンジの内容も国内と海外では違うらしく、この辺り変えないと日本での人気は見込めない気もする。
 それ以外では、やたらと重かったり、ロードも遅く、エラー、バグも多い。特にアバターの服等は膨大な量な上にいちいちダウンロードするためだと思うが表示されるまでにかなり時間が掛かる。そういった事も絡んでるかは知らないがHDD容量をやたら食う。基本となるソフトは小さいがダウンロードで色々な物を追加していく形で、設定でキャッシュサイズを変えられる。しかし、容量オーバー時は上書き処理される上に、その優先度が滅茶苦茶でラウンジデータが上書きされた場合、移動のたびに再度ダウンロード待ちさせられる。
 まとめとしては、とにかく色んな点で疑問ばかりが浮かんだ。コミニュケーションが主目的であるはずなのに、現状やっていることは課金アイテムを売る為のソーシャルゲームの場にしかなっていない。PSHomeを、大きく見てPS3を盛り上げる事に貢献するとは思えない。大幅なてこ入れが必要だろうと思う。SCE側はもっとイベントを定期的に開催したり、メーカー側はもっと宣伝の場として期間を絞った形でもいいから参加すべきと思う。が、現状どれくらいの人数がHomeにいるか分らないが、利益が出るほどいないのは確かでこのために予算を組むメーカーはほとんどいないし、いまやマルチプラットフォームが当たり前の中PS側だけに肩入れも出来ないのだろうとも思う。その他の仕掛けとしてHomeプレイ中に仲良くなった人とそのままゲーム(Home内の物では無いゲームの事ね)を起動して遊ぶ事が出来るのだが、この部分はかなり面白いと思ったし活用できると思う。オンラインゲームでの仲間探しや待ち合わせ、特にそのゲーム自体にコミュニケーション機能がついてない、充実してない場合にはすごく使えると思う。本当に機能すれば、コミニュケーション部分は全てHomeに任せる事が出来、製作のコストも減らせるだろう。しかし現状幾つかのソフトのラウンジでのみ、やろうと思えばできるかなという程度。当然全てのソフトには対応してない。ユーザー側からそういうコミニュティの場を作れると良いと思う。メーカー側も同じ志向のユーザーが集まるので宣伝やイベントをやり易いのではだろうか。一応クラブという機能があるがこれではぜんぜん弱いし有料の壁がある。こういうPS3のゲームへの誘導をしやすくする機能は最優先でつけるべきであろうと思う。今はHome自体があまりに孤立しすぎている。
 全く個人的な感想だが、無料の範囲内でゲームを一通りやってみたが、このクオリティのものを続ける気にも課金する気にもならずゲーム的には正直やることがない。普段PS3のクオリティのゲームをやっていて、さらに所謂ケータイ・スマホでのいつでも何処でも手軽にという利点がない上に、このクオリティの物にお金を使う人がいるというのは、少し驚いた。しかし、続けていると何となく分ってきた事がある。それは変化である。一見のクオリティは低いが、取り合えず行けば人がいて何かやっている。ちょっとづつではあるが変化やイベントが有り続ける。そういう事に価値を見出しているのだと思った。それはとりあえずつけたら新しい何か(本質は新しくはなくても)がやっているTVと同じような感覚なのかもしれない。つまりはSNSという事ですね。ゲームではなくコミュニケーションが主なのだと思う。
 最後に、現在の状況でお勧めできるのは、当然ゲーム内で色んな人とコミニュケーションをとりたい人と、ゲーム内廃墟を見たい物好きな人です!(笑)更なる発展を期待してます!
 と、思っていたが2015年3月末でサービス終了。しかも日本だけ販売・更新の終了がかなり早かった…。既存のSNSに勝てなかった事が最大の敗因だと思う。わざわざPS3限定のコミュニティに参加する特別なものが無い。制作側もどういう方向性にしたいのか迷走していたように思う。個人的にはF2Pとしても、コミュニティとしても可能性があると思っていたが残念である。今の所PS4に後継サービスは無いが、SHARE機能によるゲーム実況や既存のSNSでコミニュティを築きたいと思われるので恐らく今後もないだろう。

ICO(リマスター版)の感想

 2001年12月6日発売されたPS2ソフトのグラフィックが強化されたHDリマスター版。2011年9月22日発売。PS3。開発はソニー・コンピュータエンタテインメント。少年が少女と一緒に城を脱出する、アクションパズルアドベンチャ-。独特の世界観とゲーム性が特徴。開発者の上田文人を有名にし、同時に影響を公言するクリエイターが後を絶たない作品。
 筆者はPS2版はプレイしておらず今回のリマスター版が初プレイである。
 先ず第一印象は、色んなゲームの元になっていると感じた(勿論、筆者は古今東西ありとあらゆるゲームをプレイしてきたという訳ではないので、このゲームが始祖ではない部分も有るとは思うが)。筆者がプレイしたもので具体例を挙げれば、「風ノ旅ビト」や「God of War」系はモロに影響下にあると思う。GoWが2005年であるという事や、この系統のゲームが量産されている事を考えると、ゲームの進化って速いのか遅いのか良く分らなくなる。説明書は世界観にあわせて作ってあって面白いと思う。思えば、今のゲームの殆どに説明書なんてものは既になく失われた文化である。
 ゲーム内容はとてもシンプルである。とにかく城から脱出する。良くある画面上のメーターやレベル上げ、アイテム集め等は一切ない。セリフも殆ど無く登場キャラクターも少ない。プレイ時間も短い(下手な人でもクリアするのに10時間はかからないだろう)。パズル部分は2001年当時は分らないが、現在では良くあるタイプである。キューブ型の箱を押したり引いたり、ハンドルを回したり、壁の縁につかまったり、そこからよじ登ったり。紐にぶら下がったり、反動つけて飛んだり…ゲームを良くやる人なら「そこまで言わなくてもわかる」というアレだ。10年以上前から壁の縁にぶら下がってる事を考えるとゲームの進化って…。
 戦闘部分は、ゲーム自体のテーマや画面の印象からもライトユーザーや一般層をターゲットにしてそうなのに対して、ややシビアに感じた。プレイヤーは棒を振り回す事しか出来ず、必殺技なんて無い。敵は影で統一され、いくつかのタイプがあり、それらは複数で襲い掛かってくるし、こちらの攻撃はひらりとよくかわすし、おまけに自分は少女も同時に守らなければならず、少女は影に捕まるとさらわれ、一定時間たつとゲームオーバーになってしまう。そしてゲームオーバーになると結構前のチェックポイントに戻される。2001年のゲームということを考えれば感覚の違いも仕方ないのかもしれないとも思うがややきつい。さらにこれらに加え後述する部分によってゲームに不慣れな人にとってはやや難しいのではと思う。
 舞台設定は謎が多く、最後まで解明されない。なんでも台詞で説明してしまう物が多いだけに新鮮であり挑戦的でもあると思う。舞台となる城の荒涼とした空気間、静寂さは独特でこれを見るだけでも面白さがある。しかし後半、機械仕掛けのよくある舞台に移ってしまうのは少し残念ではある。同様に「LIMBO」という作品も森の雰囲気がとても美しくて良かったのに、後半、機械仕掛けのよくある舞台になって残念だった事を思い出した。ギミックを作る為に機械設定は考え易いからだろうか。
 そして、このゲームの最大のキモは少女の手を引くという事だろう。行動は遅く、攻撃手段も自衛手段も持たず、互いに言葉さえ通じない少女の手をぎゅっと握り(実際R1ボタンを押しっぱなしにしてプレイヤー自身も握り込む様な動作になる)、閉じ込められている城から脱出する為、追っ手である影から逃げたり、うまく誘導したりする。この部分が他の作品との明らかな差別化部分であり、この部分を思いついた時点でこの作品はほぼ完成したと言っていい程に重要な部分であると思う。特に感情の移入度が増す効果が在るように思う。少年と少女は見た感じだと小学生高学年から中学生辺りだろうか、その年頃だと女性の方が成長が早く背が高かったりするのだが、このゲームでも少女のほうが体が少し大きい。危機的状況から脱出しなければと思う一方、画面からはどこかほのぼのとした印象もあり、互いに意思疎通が出来て無い状況で、活発な少年がおとなしめな女の子の手を無理やり引っ張って連れ回す光景を見て、ほほえましくも思う。筆者は「はじめてのおつかい」ならぬ「はじめてのデート」と名付けたくなるような、少年が大人の男性に一歩近づく為の成長物語のような印象も受けた。
 次にリマスターに関して。前述の通り筆者はPS2版をプレイして無いので正確な比較は出来ない。画質に関しては比較動画を見たが全体がクッキリした感じだ。コスト的にもグラフィックを全面書き直しなどしていないだろうが別段汚くは感じない。比較動画をよく見るとレンガブロックの大きさが小さくなっている。これは解像度が上がった分、元の画像を小さく表示して粗さを目立たなくしているのだと思う。コストをかけずに綺麗に見せる良い工夫だと思う。しかしながら、やはりアップで見るとテクスチャの粗さやポリゴンの滑らかでは無い部分が分ってしまう。画質にこだわる人にとっては問題と感じるかもしれないが、筆者は絵がリアル・綺麗・HDが良いと言う志向を持ってないので、それほど気にならなかった。しかし驚くべきはこれが元はPS2であった事だろう。当時としても凄かったと見るか、昔から進化が無いと見るか。草木に関してバラン(お弁当に良く入っている緑色の仕切り)の様な物を複数枚張り合わせただけで表現しているPS3作品がある中で、木がちゃんと描けているとは思った。
 次に良く無い部分。真っ先に挙げなければならないのは操作性の悪さであろう。キャラクターが中々上手く動かせなくぎこちない。入力に対しての反応が遅かったり、そもそも入力を受付ない時間が多いのか、直前に取った行動が暫く続いてしまったりする。更にカメラもひどい。ユーザー側で操作するのではなく固定カメラなのだが、これが場面場面で勝手に動き回る。例えばキャラクターを右に動かすとしよう。するとカメラが勝手に回り込んだりするので、プレイヤーはまっすぐ進みたいだけなのにカメラに合わせてスティックの角度を変えなくてはならず、さらに場所によってはカメラの動きが急だったり、それを修正しようとスティックを更に傾けようものならカメラがぐるぐる大回転。先ほどの操作性の悪さも相まってそのまま転落、敵に捕まる、マップに引っかかる…等々。上記に戦闘がシビアと書いたが半分はこれらの操作性とカメラの悪さから来るものだ。さらにパズル面で全く説明がなかったり、やたらとタイミングがシビアだったり今のゲームでは絶対に無いだろうと思う部分も見られた(いや、当時としてもありえないと思うがどうなのだろうか。筆者がヌルプレイヤーになっただけなのだろうか…)。それが故に筆者は攻略サイト系は一切見ない派なのだが見てしまった…。結果を言うと筆者のやり方、パズルの解き方は完全な正解であったが、タイミングが超シビアで成功しないだけであった(ひどい…)。リマスターというならこういう操作面の酷さくらいは直してもいいと思う。勿論、この手のHDリマスターは懐かしさで買う人もいるだろうから、当時のままとアレンジモードをつけて…まぁコスト面で無理だろうが。インタビューでも作者は直したいところが色々在ったがあえて当時のままにしたとあったのでまぁ色々難しいのだろう。
 もう一つ悪い部分でトロフィーがあげられると思う。まず、酷い事にトロフィー一覧を見ると盛大にネタバレする。「隠しトロフィー」を使えば内容が隠せるにもかかわらずだ。筆者は途中で見てしまい、先の展開を知ってしまった…。さらに、このゲームは既存のゲームとは別の価値観で作られていて、世界観を味わう事に価値がある。単なる勝ち負けを求めている物ではないし、やりこみプレイとは程遠いものだ。この作品には報酬で引っ張るトロフィーは似合わないと思う。無理やりつけたとしてもクリアしたらトロフィー獲得程度だろう。にもかかわらず、○時間以下でクリアしたらトロフィー獲得というのがある。クリアはかなりシビアである。この世界観を、込み上げる感情を楽しむゲームなのに、このトロフィーを取ろうとするとそれらは一変し、レースゲームのようにショートカット!アウトインアウト!前述の操作性の悪さと相まってイライラ度は頂点に!仕舞いにゃ救うべき少女に対して「この糞アマが!」さらに「AI作った奴出て来い!」と罵詈雑言!コントローラーをぶん投げ…コホン、というのはもちろん冗談だが、とにかくこのゲームに全く合ってない。この所為で嫌いになりそうな程。トロフィーの挑戦は自由と言っても、製作側から雰囲気ぶち壊しの物を提供するのはダメだと思う。
 まとめると、2001年のゲームという事もあってか操作性には疑問を感じるが、なによりこの世界観と、少女の手を握り決して離したくない感情を、時にほのぼのと、時に物悲しさと同時に楽しめる由一無二の作品である。クリアした後はなんとも言えない感情が、そして暫くの間残ると思う。所謂いかにもなゲームではないのでライトな方から、色んなゲームに影響を与えているという意味ではコアな方にもお勧めできる作品である。しかし、所謂ゲームらしいゲームを求めている人には合わないし、やはり古いゲームで今更感がある事、値段が安くなったとはいえボリュームが少ない事、PS2版をやった人はよほどのファンで無い限りやり直す意味が薄い事等、人を選ぶ作品だと思う。「風ノ旅ビト」が好きな方にはお薦めだが、個人的には旅ビトの方が何を表現したいのか分りやすく、オンラインで他人との交流があるぶん感動が上だった。初見の方はトロフィー一覧は見ないように。

ワンダと巨像(リマスター版)の感想

 2005年10月18日発売されたPS2ソフトのグラフィックが強化されたHDリマスター版。2011年9月22日発売。PS3。開発はソニー・コンピュータエンタテインメント。少女を救う為巨大な敵と戦うアクションゲーム。続編ではないがICOと同じ製作チームであり、同様に独特の世界観とゲーム性が特徴。2018年に発売されたリメイク版では無い事に注意。
 筆者はPS2版はプレイしておらず今回のリマスター版が初プレイである。
 先ず第一印象は、ICOと同様色んなゲームの元になっていると感じた(勿論、筆者は古今東西~…ICOと同じなのでカット!
 ゲーム内容はとてもシンプルである。とにかく巨像(やたら大きいモンスター。動物のような者、獣人のような者、いくつかのタイプがある)を倒す。雑魚敵は一切いない。アクションゲームのボス戦だけを抽出したような感じだ。今回はICOと比べ色んな面でよりゲームっぽくなっている。画面上のメーターや能力上げ、アイテム集めもあり、初めになぜ巨像を倒す事になったかの説明もある。マップも広い。カメラは固定ではなくユーザー操作になった。
 本作の内容のほとんどは巨像との戦闘だ。巨像はとにかくデカく、弱点以外は攻撃しても意味が無い。故にプレイヤーは巨像の身体をよじ登り、弱点にしがみつき、そこに剣を突き刺す。基本的にやる事はこれだけだ。弱点に近づく方法が、ある種パズル的になっていて最初は結構悩ませられる。そして弱点に近づく為に兎に角しがみつく、相手も振りほどこうとする、こちらも負けじとしがみつく、もう本当に、とにかくしがみつく。ICOでは少女の手をずっと掴んでいたが、今作は巨像の毛をずっと掴んでいた…。巨大な敵と必死に戦っている感覚は強く、迫力とアツさがあるバトルが楽しめる。
 前作でのボリューム不足を問題と思ったのか、ハードモードやタイムアタックの追加、○○集め&それらに対応するトロフィー等、要素を増やさずにカサだけます方法をとっている。巨像も一部は使い回しだ。マップもとても広い平原や丘、森等があるが、探索する事に面白みを見出せるほどの細やかさは無い。プレイヤーが操作するキャラは多少のぎこちなさがあるがICOよりは反応よく動いてくれる。が、カメラがユーザー操作とはいえ、場面によっては勝手に動いたり、不自然に引っかかったりする。カメラに関してはユーザーの操作以外では動かなくするだけでかなり快適になると思うのだが何故そうしないのだろう。カメラの問題は今作でも付きまとう。
 巨像の形は工業製品のように整ってはいない。そして良く動く。そこにしがみつくのだから自分の位置や状況が把握しにくく、又操作もしにくい。揺さぶられるとプレイヤーキャラクターも上下左右振り回される。まぁ、巨像も必死な訳だし(笑)ここまでは問題ない。しかし、全く同じような行動をとったつもりでも、激しく揺さぶられて全く攻撃する暇が無い時も、全然動かず攻撃しまくれる時もあり、その差が分らない。勿論、同じように見えて微妙にキャラ位置の違いや、行動パターンにもランダム性があるとは思う。しかし、この何で上手く言ったか、何で失敗したか分らないのが問題なのだ。前者では「なんか勝っちゃった」で爽快感半減、後者では「え?今の自分が悪いの?」と思ってしまう。それらのよくわかないタイミングや位置取りの他に、巨像に特定の行動をさせる為に誘導したり、相手の隙が一瞬である為にそれをひたすら待ったり、とアクションとしては難易度が高いのではなく、かなり面倒臭いタイプである。これらは練習してどうにかなる部分ではなく、特に繰り返し時は作業でしかない。途中でやられると最初からになる事もその作業感を加速。それが故に最初しか楽しめない。勿論全てのゲームが繰り返しプレイに耐えうる設計にする必要は無いが、それなら繰り返す事を前提としたハードモードやタイムアタック、アイテム集めは今作には不必要なはずだ。他に、一部敵はハメ技を使ってきて、死ぬまで攻撃を受け続ける事や、画面表示のゲージが強化していくと画面を覆い、非常に邪魔になるのも残念な部分だ。
 ストーリーも全く変化が無く予想通りに終わる。巨像自体も使いまわしである事も重なり、中だるみは否めない。特徴ある世界観を持っているだけに非常に残念である。
 リマスターに関してもICOのような解像度にあわせて縮小というような事が出来なかったのか、粗が目立ちPS2感がまるわかりだ。さらにこの異様な難易度はオリジナル版には無く、リマスター移植によって生じた物であるとネット上の記事をみる。真偽は分からないが事実ならとても残念。
 まとめると、巨像とのバトルは迫力があり、とてもアツくなれるとは思うがそれは初回だけだ。前作がとてもよい雰囲気の独特な路線の作品だったのに対し、今作は既存の良くあるシステムを導入し、尚且つストーリーも薄く、独自性を失ってしまったと思う。アクションも厳しく、「ICOが好きだったから」と言う理由でプレイするのは薦められない。前作から4年経過しているが、何にそんなに時間がかかったのだろう。ストーリーにもっと工夫が欲しかった。リマスターに関して、ICOのときも思ったが現代にあわせての調整も必要であったと思う。グラフィックの物足りなさも加え「所詮昔のゲーム」と言う印象が拭えない。アクション好きで忍耐力がある、又はトロフィーコンプに興味がなく、PS2版をやって無い人にはやっても良いかなとは言える。ICOとの関わりを匂わす演出もわずかにあるがICOほどは薦められない作品で少し残念である。
 もし「ICOが好きだったから」という理由でやりたいのなら「風の旅ビト」や「ブラザーズ 2人の息子の物語」をお勧めする。両方ICOから影響を受けているだろうし、ブラザーズの方は終盤がとても良いです。因みに、これらのゲームは良く「雰囲気ゲー」と言われるが凄い違和感を感じる。正しくは「概念覆しゲー」だろう。今まで当たり前とされてきたゲームの各要素を見直し再構築するために、既存の概念を覆しているのだから。むしろ雰囲気ゲーというのは近年のAAAタイトルにこそあてはまるだろう。お決まりのオープンワールドで、クエストマーカーを追ってお使いをして銃撃戦をするウォーキングシミュレーター。グラフィックだけはやたらと作りこまれていて雰囲気だけはあるゲームなのだから。

キャサリン の感想

 2011年2月17日発売。PS3。開発はアトラス。パズルアクションゲーム。この作品については色々書きたい事があり、しかし上手くまとまらず悩んでいたら結構な時間が経ってしまい、益々億劫になり放置していたら、なんか色々忘れてしまった気がするのでかなりざっくりとした感想になる…(なんだそりゃ!)
 パズル以外は、NPCとの会話がメインのバーだけ。世界はめちゃくちゃ狭く、物量はとことん少ない。オープンワールドならぬクローズワールドゲーム。写実的ではなくアニメ的な絵作りとカットシーン。日本人の得意とする物であり(格闘ゲームも同じ方向性であると思う)、進むべき方向性が示されていると思うが、誰もそう思ってないのかアトラス以外で後に続くゲームは無いし、なによりこのゲーム自体は特に面白くはない(サーセン)。
 ずいぶん昔にやったのであまり覚えてないが、リトライの仕方や、操作キャラクターがオブジェクトの裏側に回った時の挙動等にかなり疑問を持った事は覚えている。有名声優参加のアニメを見ながら選択肢を選んで進んでいくアドベンチャーと思わせておいて、実は箱を押したり引いたりする簡素なパズルアクションがメインという部分は発売直前まで宣伝されていなかったように記憶している(違っていたら申し訳ないが、たぶんあっている…)。当初、難易度が高過ぎてクリアできないという意見が多かったらしいが、恐らくこれはこのような宣伝の所為でライトなユーザーが購買層のほとんどを占めていたからだと思う。ストーリーモードのパズルは明確な正解があるので、基本的には面倒なだけで(特に失敗するとチェックポイントまで戻され失敗したところまでは同じ事をやらされる点等)、簡単な部類のゲームだと思う。しかし、ストーリーとは別枠のランダムモードは難度が異様に高くて面倒。このモードは有名なのか幾つかの海外記事で難しさが取り上げられているのを見た事がある。
 ストーリーは他ではあまり見かけない結婚や浮気、それらに対する葛藤を描いてはいるが深くは掘り下げない。このテーマを取り上げているから大人向けだという意見を見たが、他の作品が小学生向けとしたら、この作品は中学生向け程度の意味での大人でしかないと思う。物語上の選択肢は複数エンディングはあるものの結局どれを選んでも大きな変化はない。が、ネットに繋げていると他人の回答の割合が見れたりするのは面白い試みだと思う。
 この作品では、アートワークや音楽が良いのが印象に残っている。基本的に殆どのゲームは武骨でデザイン性の無いUI(つまりあまり重要視されていない)だ。音楽も80年代で止まっている様な物や、絵の表現力が強まった分、音楽の重要度が減っている事もあってさらに薄くなっている(ゲームミュージックは死にかけのジャンルと言っても良いと思う)。だが、このゲームではUIのこだわりやバーのシーンで良く音楽を聴いた。ペルソナ等のアトラス作品にもその傾向は見られるので、この制作会社の特徴なのだろう。
 パズルアクションは勿論、日本のゲームの(恐らく来ないであろう)未来を感じたい人におすすめ。アニメや声優に興味のある人にも向いている。ゲーム内容はアニメを見て、たまに選択肢を選ぶ事と、バーでの会話、そしてメインの箱押しパズル。クリアだけならプレイ時間はそれほど長くない。パズルが難しいならイージーモードでも話は変わらないのでそれでやればいい。ちょっとしたストーリーの分岐があるのでリプレイ性は少々。全部を見たいならセーブデータを残しながらやると良いと思う。しかしハードモードやランダム性の高い「バベル」や時間制限のない「ラプンツェル」等のモードに手を出すと、難易度が高く、相当に面倒くさく(ここ、強調します)、時間がかかるだろう。モードが違くても基本的に同じパズルをやるので、筆者は流石に途中でやめました…(サーセン)。なによりこのゲーム自体は特に面白…略。しかしデザイン性が高く格好いいので括弧多めで書いてみました…(なんだそりゃ!)

Deadly Premonition レッドシーズプロファイル コンプリートエディション の感想

 2010年3月11日発売作品のディレクターズカット版で2015年3月12日発売。PS3。開発はアクセスゲームズ。ゲームの作りとストーリーやキャラクターの作りこみに違いがありすぎるアドベンチャーゲーム。ギネスに「最も評価の割れたサバイバルホラーゲーム」として登録もされた。開発者のSWERY氏も一躍有名に。
ヂャラ~ン!(メニューを開いた時の変な音)

 まず、Deadly Premonitionは英名で、レッドシーズプロファイルは日本語のタイトル。このエディションの発売時に合わせたタイトルになったようだ。ディレクターズカット版は先に海外で出て後に日本へ。通常版との違いは情報が少なくてよくわからない。とにかくよくわからない。

ヂャラ~ン!(メニューを開いた時の変な音)

 一見昔のGTAのようだがこれはPS3だ。PS2の様なしょぼいグラフィックや変なサウンドエフェクト、テンポの悪さ、操作性の悪さ、マップの見難さ、ロードの長さ、どれもいかにも金の無いマイナーメーカーらしいチープさにまみれている。車の運転(ラジコン)や、銃撃戦(敵キモい、無限弾の銃の入手法簡単すぎ、自分強すぎ、そもそも戦闘要らなくね?)や、覗きや(!)釣りや(もはや釣りじゃない)QTEや(これはどんなゲームにおいても全くいらん)色んな要素もあるが、どれも何とも言えないチープさと香ばしさ。

ヂャラ~ン!(メニューを開いた時の変な音)

 しかし、ストーリーとキャラクターですべてを持っていく。というかむしろそれだけでしかプレイできませんよ、これは!細かい会話イベントもかなりあったり、作りこみにかなり偏りがある。物語だけのゲームは好きじゃないのだが、最後にはこのゲーム内の街を去り難い自分がそこにいた。このアンバランスさによってなのか海外ではカルト的人気を生んでいるそうだ。まぁ、こういうゲームがあっても良いと思うが、存在自体を知らなかった事もあり、PS Plusじゃなかったらプレイしなかったと思う(サーセン)。

ヂャラ~ン!(メニューを開いた時の変な音)

 この作品はストーリーさえ良ければ他は一切気にならないという人におすすめだが、さすがに定価は…(サーセン)。アクが強い事を分かってプレイするならアリだと思う。会話したり銃を撃ったり運転したり釣りしたり、プレイ内容は幅が広い。が、どれも薄い。特に移動が多くかなりの時間車を運転するが、ミニマップが酷くてさらに無駄に時間がかかる。移動が楽になるアイテムの存在を後から知った時には…。最後までプレイするにはそれなりに時間がかかると思う。章を選択してやり直したりして収集物を集めたり、リプレイ性は少々ある。難易度は低め。元々のバージョンのイージーモードのみを収録してるらしい。海外で出てたDLCは日本では未実装。
 作者のSWERY氏は病気療養中だったりお坊さんになったり会社辞めたり独立したりと色々あるみたい。また、変なゲームを作ってくれる事を願う。では最後に…

ヂャラ~ン!(メニューを開いた時の変な音)

The Last of Us の感想

 2013年6月14日発売。PS3。開発はソニー・コンピュータエンタテインメント。数々の賞をとった終末物TPS。リマスター版もある。物議を醸した続編もある。話題に事欠かない。
 このゲームから感じるのは徹底的な万人受けである。PS3とは思えないほど綺麗なグラフィック。先が気になる物語、演出。良くあるゾンビ終末ものに見せて、メインキャラクターは中年男性と少女で人間関係や人生の選択が大きなテーマとなるヒューマンドラマが展開されていく。老若男女、国籍、文化問わず感情移入できるつくり。つまりハリウッド映画的部分はかなり作りこまれている。
 一方、ゲームプレイ部分は極普通のTPS。シューターは特に海外で人気のあるジャンルで操作難度も低い。成長、武器強化、クラフトといった要素もあるが、プレイしてれば勝手に強化されていくゲーム性の無い物である。パズル要素はとても簡素で作業的。世界観はとても写実的なのに、いかにもゲーム的な後戻りできないエリアに着くと戦闘、ちょっと話が進んでまた後戻りできないエリアで戦闘と繰り返したり、敵も味方もAIが賢くなく、どう見ても見つかっているのになかったことになってたりする。荒廃した世界で人々が生き抜く姿を描いているのにゲームプレイで衣食住には関われない。行動方針にかかわる選択にも関われない。主人公達は殺戮が目的ではないのに、無益な戦闘でも皆殺しにしないと進めなかったりする。ストーリーゲーの弱点であるリプレイ性の無さを埋めるためか、トロフィーでの繰り返しプレイの誘因や、これまたありがちな、銃で殺しあうネット対戦モードもある。とにかくゲームプレイの部分はありきたりで、中年男性と少女が人殺しをするだけである。対戦モードも含めて、命の扱いが軽すぎて本編のストーリーをないがしろにする様な印象も受ける。ゲームとストーリーが解離していて、カットシーンでは雄弁だが、ゲームプレイでは何も語られないし、語れない。
 前述のグラフィックや、他のゲームでは無視されがちな細かい部分や、ローカライズの部分までお金を沢山かけて丁寧に作られているのはわかるし、凄いとは思う。しかし、ゲームは中心になく、ゲームプレイはあくまで誰でもプレイできるように無難な物にしておいて、映画的部分で徹底的に意味づけして押し切ってくる。大作は莫大な製作費を回収するためにもこの様な万人受けにするしかないのはわかるが、ここまでやられるとゲームが純粋に好きな筆者はなんだか暗い気持ちになった。今までも似た様な傾向の作品は多々あったが、この作品でこの大作手法が完成したように思う。そして、この作品は世界で称賛を受けている。今もそうだが、今後こういうゲームはもっと増えるだろう。映画は映画でやればいいし、ゲームはゲームでやるべきことをやればいいと思う。その方がリソースを集中できる分もっと素晴らしい物を作れると筆者は思ってしまう。
 この作品はゲームより映画が好きな人におすすめする。カットシーンとTPSがゲームのメイン。それに会話や移動やパズルが少々。一周するだけならプレイ時間はそれほど長くない。ストーリーがメインなのでリプレイ性は低い。ネット対戦が好きなら長く楽しめると思う。難易度は普通だと思うが、選択できるのでゲームを普段やらない映画好きでも問題ないと思う。この作品について面白いか面白くないかと聞かれたら面白いと答えるだろう。だが、面白いゲームかと聞かれたら答えに詰まる。感動は常にプレイヤーとは無関係な場所でのみ起きている。
 個人的な話になってしまうが、なぜ自分はこの手の物が好きになれないかを考える。それは、ゲームは所詮子供の遊び、暇つぶし、映画より下の物、として扱われる事に抵抗があるからだと思う。同時にその様に思う層に媚びた作品も好きになれない。ムービーゲーはカジュアルゲーであり、真の意味で雰囲気ゲーである。
 では「HEAVY RAIN」の様なゲームとの違いについてはどうか。それは振り切り方の違いで説明できる。従来のゲーム的フォーマットを用いずドラマを見せる事に特化した作品と、ゲーム的でありながら、ゲームで語る事をせずカットシーンで語る事の違いである。前者は表現に対して実直であるのに対して、後者は表現にブレがあり良いとこ取りをしてるようで何も得ていないと感じるのである。

 ついでに2の簡単な感想も書く。主人公を殺すという安易なシナリオ。暴力を批判するテーマを掲げているが、そもそもゲームの問題点としてそれは古く、現代なら洗脳性を挙げるべきだ。1作目と同様に介入できないので、ユーザーに選択肢は無いので強制的に暴力的にさせられ、それを批判されるという、まさにユーザーの感情をある方向に操作しようとする。その暴力については全く無関心であることにとても驚く。

HER STORY の感想

 2015年6月24日発売。PC。開発はSam Barlow。数々の賞をとったフリーワード推理&実写映像ゲーム。自由なワードで映像内の言葉を検索して映像を発見、閲覧し、そこから推理して検索してまた新たな映像を見ていく。
 *注 直接的ではないけどネタバレめいた事が書かれています。だってそうしないとこのゲームを語れないんだもん(サーセン)。ストーリーのネタバレはありません。

 このゲームのポイントは検索時に5つまでしか映像が表示されない事だろう。それによってプレイヤーが一つのワードによって沢山の事を知り過ぎない様にして、さらなる推理を生むようにしている。やる事は検索ワードを入れて映像を見るだけなのだが、色んな事実が浮かび上がってくるたび興奮したし、のめりこんでいた。決まったストーリーラインは無くプレイヤーの推理力次第で個々様々な体験が生まれる事も特筆すべき点だろう。
 しかし、熱中できるのは途中までだ。映像をある程度見てくると新しい映像がなかなか見つけにくくなり、適当な単語を打ちまくって映像を探す作業になっていた。なによりこのゲーム、いつ、どうやって終わるの?真実はどこに?と思っていたら、実はもうその時点で終わっていた。要は真実は明かされたりはせず、プレイヤーが満足したと思ったらその時点で終わりなのだ。想像に任せる終わり自体は別に構わないが、いままでずっとフリーワードだったのに、最後は強制的に単語を打たされる事や、真実を求めて推理していたのに、それとは無関係なところで終わりを迎えさせられるのはどうかと思った。強制単語入力は、初めはキーボードが反応しないので別の解法があると思ってしまって、かなり悩んだ。映像はほとんど見てしまったしどうしようと思ったが、結局特定の単語しか反応しないだけであった。
 役者の演技や、色んなワードを想定しての脚本、映像の作り方は本当に素晴らしいと思うし作るのは大変だと思うが、終わり方にもうひと工夫あれば、と思ってしまう惜しいゲームである。それとこの検索システムはゲームにするためにわざと使いずらくされているのがありありと出すぎていてどうにかならないかと思ってしまう。設定的にWindows95/98の頃のPCを使うのだが普通に映像全部見れるでしょ。さらにクリア後には使いづらさを若干解消できるコマンドをゲーム内世界で教えられてしまう。わざと使い難くされている事を証明してしまっている。台無しじゃないかー!
 一つ重要な点として、この作品は日本語化されてない。筆者は有志による日本語化でプレイした。タダで使わせてもらってなんだが、一部日本語化されてなかったり、スペルが間違っていたり、さらに余計なヒントも追加されている。個々の体験が違うことが重要なゲームに於いてこれは完全に蛇足だと思う。それよりも一番の問題は、このゲームの検索システムは日本語化できない点だろう。なので検索は英語でしなくてはならないし、日本語と英語の語彙力によって作者の意図以外での難しさや煩雑さを感じながらのプレイになる。しかし、このゲームをプレイするならネット環境はあるわけで、英語の勉強がてらゲーム内でもゲーム外でも検索しながらプレイすれば、そこまで苦にはならない。
 このゲームは、変わった物がやりたい人におすすめ。プレイ内容はキーボードとマウスで検索して動画を見る事のみ。文字を沢山読んだり複雑な操作は無いし、メモりながらプレイした方が良いという意見も聞くがそこまで複雑な話ではないと思う。なのでカジュアルに楽しみたい人にも向いている。しかしゲーム自体はそれほど長くはないし、結末に過度な期待はしてはいけない。ここまで書いておいて何だが、ネタバレも厳禁だ(サーセン)。
 筆者のプレイ後の2016年11月24日に日本語化された。無理だと思っていた検索も日本語で出来るようになった。凄い。作るの大変そう。

返校 detention の感想

 2017年1月13日発売。PC。開発はRedCandleGames。あまり見ないテーマを扱った台湾産ホラーゲーム。
 筆者はホラーゲームが好きではない。理由は怖さという物をエンターテインメントと捉える事が出来ず、ただ単に嫌な気持ちにしかならないからだ。さらに、所詮びっくり箱でしかないという事もある。ただ驚かすだけでそれ以上でもそれ以下でもない、そう感じてしまうのだ。そして、ゲームは必然的に繰り返しが多いので、怖がりな筆者でさえ慣れてしまい何も感じなくなる。すると最終的には無味無臭なただの空き箱になってしまうのだ。
 そうでありながら、なぜプレイしてみようと思ったのかというと、それはホラー部分に感じるマイナス以上に、テーマに惹かれたからだ。本作は台湾の1947~1987年の間に起った白色テロという過酷な政治的弾圧状態をテーマにしており、相互監視や密告が日常化し、沢山の人が投獄され処刑された時代を背景としている。ゲーム起動直後に表示されるメッセージでは、よくある「この作品はフィクションであり~」といった注意文ではなく「現実の事件と一致していたとしてもそれは完全な偶然である」というような事が表示され、この作品が明確な、そして野心的な思いによって作られたことがうかがえる。実際のゲームではその部分をもろに前面には出さず、プレイキャラクターである少女の悩み、家族、疑い、恋心を交えながら悲しい物語を描いていく。
 ゲームとしてみると、本作は2Dの横視点のポイントクリック型のゲームである。キーアイテムを探し移動し、時折出るお化けをかわしつつパズルを解きながら物語を進めていく。言ってしまえば良くあるつくりである。この制作スタジオの一作目ということもあってかプレイ的な面やグラフィックに関しては良くも悪くも特筆する事は感じなかった。パズルはテーマと関係ない物ではなく良く考えられているし、音楽は怖さを演出するのに役立っている。恐怖演出としては化け物の登場も少なく、ジャンプスケアのような脅かし演出も少なく、前述の音楽と効果音とグラフィックによる雰囲気で怖さを作っていく形である。
 エンディングは複数あり、悲しい現実をテーマにしているだけあって、なんにしても結末は非情な物である。少女の複雑な感情と非情な時代を絡めた物語も、ただ単に社会派になり説教臭くなる事を回避しており良かったと思う。が、全体を通してみるともうちょっと色々できたのではないかと思ってしまう事がある。具体的な悪い部分は見つからないが良い部分もあまりないような、なんだかもやもやする、振り切れていない気持ちも多少残った。勿論、インディーの第一作目に過剰な期待をするのは酷だと思う。さらに言えば、筆者はプレイ重視派であり、ストーリー主導のアドベンチャー寄りのゲームになじめない所や、前述のホラーに対する意識などが邪魔をしているので、かなり偏った感想だ。筆者は挑戦的・野心的・実験的な作品が好きなので、それらの偏りを超えてプレイしてみたいと思わせた時点でこのゲームは凄いと思う。
 その後、この開発会社はその野心的な挑戦を推し進め、次作である「還願 Devotion」を生み出し高評価を得たが、政治的な問題により販売停止になってしまった(後に自サイトで販売)。とても残念だ。といいつつ筆者未プレイなのは、かなり怖いらしいからだ…。いつか…たぶん…プレイしたい…。

Darkest Dungeon の短い感想

 2016年1月19日発売。アーリーアクセスをやっていたような気もするが忘れた。PC。開発はRed Hook Studios。ストレスを管理しながらダンジョンを攻略するローグライクRPG。
 長く書きすぎてしまうのが続いたので短く書く練習も兼ねる。プレイしたのはかなり前でうろ覚えな部分もある(サーセン)我ながら酷い。
 ストレスという要素が特徴だが、用はバッドステータス、デバフの事である。ピンチの時に様々な効果を生む「癖」という要素もある。それが常に避けようのない状況で付きまとうので上手くやり過ごしながらプレイしていけば良い。それが分かってしまうと意外と普通のゲームという印象。ローグライクと言っても多少マップが変わる程度でプレイ毎の違いはとても少ない。
 中盤からはやたら繰り返しを強要される事が多くなって作業的になった点と、UIがこなれてない(特にパッド操作時)点以外は面白かった。プレイ時間の半分以上は繰り返し作業でかなりキツかった。ほぼ同じ使いまわしダンジョンでちょっとだけ見た目を変えた使いまわしボス何度も戦わされた。特にラストダンジョンは何度もクリアする必要があり、その際は一度ダンジョンに入ったキャラは使えなくなり、新しく育てなおさなければならないという滅茶苦茶な仕組み。長時間プレイできる事が良いゲームという風潮がある以上仕方ない、と納得できるレベルではなかった。なのでDLCまでやろうという気は微塵も起きなかった。その他では癖の治療にかかるお金が高くて首にした方が良いというのがなんとも。
 プレイヤーキャラは実はほぼ個性がなく成長幅もなく、癖等のわずかな部分ぐらいしか個体差がない。つまらなくも感じる一方、戦闘はプレイヤー側は強くなりすぎる事が無くバッドステータスの管理や、ランダム性の高い癖、スキル、トリンケットの組み合わせで打開していくバランスは良くできていると思った。つまり要素が少ない分、管理しやすくバランス調整が上手くいってるのだろうとも思う。

The Messenger の短い感想

 2018年8月31日発売。PC。開発はSabotage。8bit風と16bit風のグラフィックを切り替えながら進むレトロ風プラットフォーマー/メトロイドヴァニア。
 長く書きすぎてしまうのが続いたので短く書く練習も兼ねる。プレイしたのはかなり前でうろ覚えな部分もある(サーセン)我ながら酷い。
 良くも悪くも当時のゲームの再現で、トレーラー通りの内容が展開する。とても丁寧に作られているのもわかるし、8/16変換は作るのが大変なのもわかる。だが、bit変換以外は店主との会話位しか他と違う特徴がなく、極めてありがちな場面が続く。途中、シューティングになる場面もあるが、あまりうまくいってるとは思えず、要素を絞って集中した方が上手くいったのではないかと思ってしまう。
 ストーリーは急な展開があったり、中盤からプラットフォーマーからメトロイドヴァニアになるが、どこに行ったら良いか分からないと虱潰しの作業的になる。難易度はかなり低い、特に序盤。ジャンプアクションに少し苦労する程度。ヒントもある。敵の種類も少ない。もう少し何かあればと思う事が多い作品。

Hyper Light Drifter の短い感想

 2016年3月31日発売。PC。開発はHeart Machine。レトロ風ではない特徴的なドット絵の見下ろし型アクションアドベンチャー。
 長く書きすぎてしまうのが続いたので短く書く練習も兼ねる。プレイしたのはかなり前でうろ覚えな部分もある(サーセン)我ながら酷い。
 縁取りの無いドット絵、統一された淡く幻想的な色使い、「風の谷のナウシカ」の巨神兵の怪物のデザインからジブリ風な世界観も感じ取れる。この作品が起源かは分からないが、これらはインディー界に衝撃を与えたのか、後に似たようなグラフィックのゲームが沢山出ている。
 ゲーム中に言葉が一切登場しないが、十分説得力のあるビジュアルがあり、ただ単に文字を抜いただけではない事が分かる。アクションが思ったよりちゃんと作られていて、斬って避けて、銃を撃ち、気を抜くとやられる。敵の種類もそれなりにいる。やられた時に結構前に戻されるのは、現代では煩わしいと思う人が多いかもしれない。
 隠し通路が多く、完全ノーヒントではないが分かり難い所もあった。分からないと進めない所もあるが、全てを解かないといけない訳では無い。コンプリートしようとすると結構難しいと思う。しかしマップは見難い。ストーリーは正直良く分からない部分が多い。コンプすると多少のヒントがでるらしい、多少。
 他には長くプレイしているとだんだん重くなってくるのは気になった。

ゲームの近過去から現在を考える

 2000年代以降日本のゲームは下降線をたどり、一方洋ゲーが隆盛してきたという話を色んな記事で見るが、どうにも自分の感覚と合致しない。勿論専門の人が調べた事と素人である筆者の感覚が違う事自体は当たり前なのだが、それでも腑に落ちない思いがある。
 自分の感覚としては日本だけでなく全てが下降線という感覚だ。その頃は丁度3Dが本格化していった頃だろう。3Dとはつまり現実であり、それは映画を再現できる事になったという事だ。3Dがもてはやされる一方で2Dは古い物、ダメな物として駆逐されていった。つまり映画文化が根底にある欧米にとって都合の良い環境になり、漫画・アニメの得意な日本にとっては不利に立たされる環境になったという事だ。
 だがしかし、ゲームはゲームであり、映画でも漫画でもアニメでもない。筆者からすればどちらにせよゲーム以外の表現で一喜一憂しているだけで全く同調できなかった。ハイスペック競争には乗らない陣営も、カジュアル、ファミリー層狙いを打ち出し、前者とは違った意味でゲームとは距離を置き始めた。ゲームだけでなくCDが最も売れたのも90年代後半らしい。ネットが本格的に広まり始めたのも90年代後半。日本が本格的に不景気の波にのまれたのもその頃であり、失われた何年だかと言い始めた。
 ゲーム会社もご多分に漏れず、新しい挑戦をやめ、続編ばかりが目立つようになった。コンテンツからコミュニケーションへ。作品からサービスへ。インターネットの広まり、人々の意識の変化。それに伴う金の儲け方の変容。どんどん移り変わって来たし、これからもそうなるだろう。参加できるエンターテインメント、自分の操作によって何かが動く、返りがある、そこに感動がある。そんな「純粋なゲーム」はほとんどなくなったように思う。能動性は失われ受動的な傾向。ゲームではなく映画に。ゲームではなくCGに。ゲームではなく物語に。ゲームではなくSNSに。ゲームではなくギャンブルに。ゲームではなくキャラクターに。ゲームではなく子供に。良く言えばゲームはコンピューターエンターテイメント化して幅が広がったという事だろうが、悪く言えば、もはやゲームが何を指し示す言葉か分からないほどに薄く広まった。ゲームとはルールであり、仕組みであり、これを楽しむためにはルールを理解しないといけない。つまり作り手は教えなければならないし、プレイヤーは勉強しなければならない。つまり受け手側に負荷がかかる事から逃げたのだと思う。より多くの人に売る為にはハードルは低くする、いや、無い方が良いからだ。ゲームがゲームとして存在することはとても難しい。筆者にとっては社会の変化も合わせて全てが下降線に見え、未来を感じる事が出来ずに、ゲームをやめた。今にして思えば、当時予想していた未来は概ね当たっていた。

 一例をあげると、MMOをはじめとするネトゲはSNSその物だと思う。リア充(リアル=現実世界で充実している)ならぬゲム充(ゲーム世界で充実している)を生み出す装置で、Facebookで仲間とBBQの写真をアップ!とMMOで仲間と一緒にレア装備ゲット!は、やっていることは全く同じであり、BBQ/ゲームはそれらのコミュニケーションを円滑にする為の道具でしかなくメインの事項ではない。どちらの充実も幻想である事も同じである。詳しく調べてないがMMOの方がSNSより先なのは興味深い。当初はゲム充爆発しろ!とか言ってる人はいたのだろうか。
 その後、「ゲームはゲームである」と当たり前の事を堂々と宣言したDemon's Soulsの登場と、筆者と同じ考えを共有するインディーの盛り上がりにより再びゲームの世界に戻ってきたのだがまた別の話。

ゲームに於ける世界の描き方の違いについて考える

 現実世界と空想世界。現実を忠実に描こうとする物に対して何故か何も語る事が浮かばない。それは新しい世界を創造していない物に感動しないからかもしれない。「リアル」という方向性に特化した場合、それは現実の鏡を作ることである。
 確かにバーチャルな世界なので「現実の鏡」の中では「現実」の中では出来ないこと(現実をひとつ飛び超えたこと)が出来る。だがそれでもやはり現実を映した物の範疇に過ぎない。筆者はゲームはシステムであると思っている。システムはルールであり、常識であり、環境であり、つまりは世界そのものだ。新しいゲームに出会うという事は新しい世界に出会うという事、新しい世界の見方を教えてくれる事だ。だからワクワクドキドキ、興奮、感動、すばらしい体験をもたらしてくれる。新しい世界との出会いがない、既に知っている世界を写した鏡は、シミュレーターであると思う。
 筆者の勝手な経験則だが、洋ゲーが目指している所は「体験」なのだと思う。だからよりリアルに、現実的に、主観的に、外見的になり、シミュレーターに近づくのだと思う。そして日本は「空想」だろうか…(自信なし)。より抽象的に、客観的に、内面的に、現実離れしていく方向性。情報を足しまくる事によって作られるリアル世界と、情報を引きまくる事で作られる想像の世界。VRが発展していく中でこの差はより明確になっていく気がする。3D化で遅れを取った日本的表現がVR化によって手遅れな状態にならない事を祈る。
 勘違いしないで欲しいのだけど、あくまで方向性の違いであって、どっちが良い悪いとか、正しい間違っているという話ではない。それにどの程度その要素を含めるかというバランスの問題もある。結局は単純に筆者個人の好みの話です。高度な物理エンジンを搭載しリアルな挙動をアピールしているゲームをよく見るが、全く興味を引かれなかったりする。その世界を楽しむ事と、その世界に入りたい事は違うという事でもある。外部からの見た目ではなく内部からの構造の方に興味があるという事でもある。リアルを追求するあまり現実の面倒くささまで再現されてしまっている事に嫌気がさすという事でもある。
 欧米のシミュレーター志向が最もよく表れているジャンルがウォーキングシミュレーターであると思う。ただ歩き回るだけのゲームを揶揄するために生まれた言葉だったと記憶しているが(違うかもしれない・サーセン)、現在は必ずしも否定的な意味で使われてはいないようだ。あえてそれを狙って作られたゲームも普通に幾つもある。だが、これは狭い範囲のジャンルだけを指したものではないと思う。
 上記の様に、欧米的な現実体験主義が流行し、ゲームプレイは間口を広げる為に簡略化する。それによって生み出されるものは、広い空間にプレイヤーを放り出し、クエストマーカーを追っかけて右往左往し、目的地でやる事は目標物を画面中央に捉えてボタンを押す程度。現実的にはそれらのアクションすらない物をウォーキングシミュレーターと呼んでいるが、現実的にはその差はほぼ存在しない程度の物だろう。特に大作/AAAと言われる製作費が莫大なゆえに万人受けを狙わざるを得ない物は、話や設定等のガワだけ変えたウォーキングシミュレーターとして量産されていくだろうと思う。ウォーキングシミュという言葉がしっくりこないならお使いシミュでも映画シミュでも良いし、なんなら雰囲気ゲーが一番合う言葉かもしれない。

シューター(FPS/TPS)について考える

 筆者は未だにこれの面白さが分からないでいる。シューターは最も人気のジャンルなのでこれにハマれないと、かなりの作品が楽しめない事と同義になってしまう。一応念を押しておくが「嫌い」なのではなく「面白さが分からない」のである。
 仕組みから見直してみる。ルールは画面中央に敵を合わせてボタンを押すだけと実にシンプル。2本のスティック(キーボード&マウス)で移動と狙う事に操作を集約している。つまり操作は2Dx2にデバイスの都合上簡略化している。操作するのはほとんどが人間キャラクターであり、当然空中を飛び続けたりしないので上下の視点移動(Y軸)は限定的。銃の弾速はとても速く、ほぼ撃った瞬間当たるので相手との距離は実際の見た目ほどには存在しない。つまり奥行き(Z軸)が薄くしか存在しない。さらにどんな状況においても絶対に画面は回転しない。限定的な縦軸と薄い奥行きと回転要素を消した事は操作の煩雑さを低減している。つまり見た目は3Dであっても、デバイス的にも操作的にも実際は3Dではないのだ。見た目2Dのツインスティックシューターとシステム的には違いが無いのだ。
 これらから言える事は、端的に言えば、ポイントクリックのカジュアルゲーなのである。マウ&キーでプレイすると余計にポイントクリックゲーと感じるだろう。(筆者の持論ではあるがゲームは入力装置によって作られると思っている。FPSはまさにPCの入力装置に最適化されて生まれたものだと思う。実際の歴史は知らないけど・汗)。
 実際の対戦においても勝敗が分かれるのは位置取りとエイミングであり、問われるのはマップの記憶と反射神経以外には運だけであり、とてもシンプルでカジュアルなのだ。カジュアルさによる参入障壁の低さは、複雑化する事でユーザー間の差を作り出す方向に行った格闘ゲームとは逆の方向性である。ゲーム以外のどんな物でも簡単な物が受けるのは世の常なので人気の理由はここにあると思う。勿論暴力性も人気の条件である。

 視点について考える。FPS(主観視点)はどうも見難いし狭く感じる。実際の人間は周辺視野と言ってハッキリとは見えないがもっと上下左右が見えている。それに眼球も首も腰も動くので、実際の視野より多くの事を見ている。さらに、人間は視覚以外の感覚でも情報を得てそれを統合して処理しているので、実際にはいろんなものを感じているし、把握しているのだ。一方でゲームのFPSは1つの部位しか動かせないし、そもそも画面は限定的で小さいし、嗅覚や触覚、バランス感覚等はゲーム上には存在すらしないので、現実の身体的感覚からしてもきわめて情報量が少なく違和感しかない。まるで望遠鏡をのぞきながらプレイしている感覚になり何とも窮屈に、そして世界はとても狭く感じる。
 論理的に言えば、目の位置にカメラがあるのはリアルであり当たり前なのだろう。しかし、ゲームはあくまで現実を抽象化したもので、現実とは比べ物にならないほど情報量が少ない。よって視点を後方に移して視野を広く(情報量を多く)したTPS(三人称視点)の方が感覚的にリアルである。この論理的リアルと感覚的リアルの差は、そのまま洋ゲーと和ゲーの違いにも当てはめる事が出来ると思う。
 話が少しずれるが、三人称視点と当たり前に使っているが、厳密に言えば後方主観視点だと思う。本当に三人称なら、初期バイオハザードの様にプレイヤーの位置や方向とは関係なく存在していなくてはならないはずだ。いや、誰も気にしていないと思うけど。
 さらに話がずれるが、本当の意味での3D、つまりデバイス的にも操作的にも3軸使うゲームが出る未来は来るのであろうか。もし出るとしたらコントーローラーから開発しなければいけないしコストは膨大にかかりそう。VRのコントローラーはそうなる可能性があるが、複雑化してゲームというより身体的なスポーツに近づくと思う。

 今にして思えば、いわゆる昔のシューティングゲームは上記と比較して言うならシングルスティックシューターである。廃れた原因は狙って撃つというシューティングの基本を無視してしまった事にあると思う。オート連射を採用し(高橋名人をはじめとする連射ブームからの流れ上、仕方なかったのかもしれないが)「撃つ」意味を無くし、一つのスティック(方向キー)を「避け」のみに使い「狙う」事を無視した。そして避けに特化した結果、弾幕シューティングへと発展していったのだろう。弾幕系は技術的要素に特化しユーザー層を狭めた格闘ゲームと同じ方向性だと思う。似た様な例を挙げると最近筆者がプレイした物だと「Diablo3」がオート攻撃であった。ARPGを名乗っているが、あれはギャンブル的なトレハンを楽しむものであり、アクションゲームではないと言う事を示唆している。あのような事が繰り返されればシューティング同様アクションも廃れるのかもしれない。
 と、まぁ、関係ない事まで書いてきたが、結局の所FPS/TPSの面白さは分からないまま。上記のカジュアルさ以外にも、なんとなく適当に予想してみると、対戦・協力どちらであったとしても結局コミュニケーションが中心となる事や、瞬間的に勝負がついてしまう刹那的な感覚が筆者の好みとは違うからかもしれない。スポーツ的すぎる事も影響があると思う。スポーツはゲームに内包されるものだと思うが、筆者にとってのゲームは「狭義の意味でのゲーム」なのだと思う。競技性を追求し、勝ち負けにこだわる行為は余白を無くし、遊びが消える。筆者は遊びを求めているし、勝ちという一つの価値を求めるのではなく(当然ダジャレでもなく)、芸術のように多様な価値を求めているのだと思う。
 その他にも、操作する面白みや動作において特別さが無い事がかなり影響していると感じる。筆者はゲームの中で特に操作に関して面白みを感じるプレイヤーである。当たり前だが主観視点で動き回るのは日常的な動作であり、ゲーム内で行っても当然感動などない。エイム動作も、あくまで動作だけをみれば棒状の物を相手に向けているだけであり、トリガーを引く事も特別な動作ではない。銃だとか敵兵士などはあくまで見た目だけの物であり現実ではないし、物語も疑似的な物に過ぎない。現実なのは操作だけだ。その現実部分である操作を通してやる事が日常と同じでは何も感動が無い。シューターは位置取り(の為の移動)とエイムが全てなので、日常的な動作しかない。さらに、当然だが多くの銃は弾がまっすぐ高速に飛び、他のパターンが無く、方向とタイミング以外は操作できない。格闘や剣戟なら横から縦からの攻撃、フェイント、直線的ではなく曲線的な動き、ひねり、他にも無限の多彩なパターンを生み出せる。シューターを理解できないと言いつつ、アーマードコアは普通にプレイしているのは、弾がまっすぐ高速に飛ぶだけじゃない兵器が色々あり、ロボットを操作しているので日常では無い動作に楽しみを見出す事が出来るからなのではないかと思う。
 これらの要素はリアルさを追求した結果生まれた物である。結局の所リアルならリアルでやればいい(いや、銃撃戦とかやっちゃだめだけど。空気銃とかの話)と思ってしまうのかもしれない。わざわざゲームでやるならゲームならではの楽しみ(見せかけだけの非日常ではなく、現実である操作を通した非日常)が欲しいと思っているからこそ、シューターの面白さが理解できないのかもしれない。と、同時にそれらの問題を解消したシューターは充分可能だと思うし、もし存在するならプレイしてみたいと思う。

ゲームと時間について考える

 ゲームと時間の関係は長くおざなりにされてきたと思う。ボリュームが多ければ多いほど良いという妄信はどこから来たのだろうか。
 製作側から云えば初期は中古対策・海外ではレンタル対策だったように思う。すぐにクリアされて売られて/返されては困る。ユーザー側では単純なコスパだろうか。ユーザーはほとんどが子供なので金は無いが時間はある。さらに言えば、(実際の年齢以外の色んな意味での)子供の万能感や無軌道性を埋めるために大量な時間を必要とされたのかもしれない。
 別の理由としては、開発費高騰の為、一作品の価値を高めたい。だが、ゲーム以外の部分(映像・演出等)は進化しているがゲーム自体のイノベーションはずっと無い。それによって、質ではなく量でユーザーを納得させる方に向かったのだと思う。質を上げるのは能力を持った一部の人間にしかできないが量を増やすのは誰でもできる。インターネットの登場により永遠にアップデートし続ける事で量を増やす事がやりやすくなった事や、課金制やそれに付随するギャンブル課金でかなり儲かる事も影響しているだろう。
 量で押し切るこの方向性は、一方で依存性を生みWHOに認定されてしまうほどになり、一方でゲームが昔よりどんどん面倒くさくなっていき、一部の人以外が付いていけなくなる原因になっていると思う。既存の要素をかさ増しして薄く延ばし、ボリュームを徹底的に増やす手法はただの子供だましであり、ついていけない人というのは一般の大人であると思う。結局ゲームが子供向けから脱却出来ない事が全ての原因であるように思う。
 最近、動画実況は何が面白いのかを探るために色々見ていたが、面倒くさくないというのも価値の一つだと感じた。「綺麗な画面」や「感動的ストーリー」を見て、面倒な実際のプレイはせずに飛ばして(そもそも配信者側もカットしていたりする)楽しむ。実況者のリアクションを楽しむ。これらは忙しい現代の多くの人にとっては最も短時間で簡単にゲームを楽しむ方法なのかもしれないと思う。実際のプレイではなく観賞として楽しむというのは、スポーツ中継と同じである。近年eスポーツが盛り上がっているのもこれが関係しているのかもしれない。

ドット絵について考える

 かつてはハードの性能から来る制約上の産物であったが今は違う。スペック・ツールが発展した現在において、あえてそれをやる事は制約ではなく表現法の一つである。
 考えてみれば不思議なものだが、普通にディスプレイ上に表示されるものは全てドット絵である。その粒子のひとつひとつが判別できるほどに大きくなった時にドット絵などと呼ばれる。つまり定義は曖昧な部分が残り続ける。
 ドット絵を使う事によって、ミニマリズム・抽象・デメイク・デフォルメなど、色んな形を取る事が出来る表現である。むしろリアルな写実表現の方が現実という正解がある以上、バリエーションが少ないとも言える。より作家性を打ち出す必要性がある/打ち出せる環境にあるインディー製作の場においては特に輝く表現だと思う。単に製作費の問題で選択する作家もいるだろうが、作品によっては物凄い書き込み量、アニメーション量があるので、最近では単に安いから採用したとは言えなくなっている。
 とはいえ、今現在ドット絵が採用される理由の殆どが懐古趣味的なものだと思われる。これを批判する人もいるが、個人的には懐かしむ事や過去にこだわる事に特に問題があるとは思わない。要は程度の問題で、そればかりになったら問題と考えるだろうが、さすがにそんな極端な事は起きそうにない。
 それ以外の理由でドット絵を採用するのは情報量を落とすためであると思う。情報の解像度を落とす、という言い方でもいいかもしれない。ドット絵は、クオンタイズというか、四捨五入というか、情報を減らし単純化する。それは形式的であり、記号的であり、それによって特徴をより強調した表現になる。そしてまた、情報量が少ないという事は、情報を足せることでもある。実写のように情報が多い物にさらに足したらあふれだして吐いてしまうので足せない。これらのドット絵の特性は、ゲームにとてもあっていると思う。ゲーム自体が、操作をしやすくする為に、現実から情報量を減らし単純化し形式的にしたものであるからだ。情報を落とすという意味で共通する漫画やアニメとの親和性が高いということが、かつて日本がゲーム大国を築けた一因であるとも思う。
 世の常なのかもしれないが、新しい物へと移り替わる時にはそれまでの物が古くてダメなものとして扱われる。つまり3Dへの転換期に2Dは否定され、ドット絵は一度途絶えてしまった。只の一表現法に過ぎないのに。あの時2Dが否定されずに生き残り、進化していたら現在どうなってたか。今一度ドット絵が復活するならどんなものになるか。そういった事を期待させる、新しいピクセルアートの出現を期待しているし、そういった方向性の作品は既にどんどん出ている。さらなる発展を見守りたい。

スキップモード・クリア報酬課金について考える

 スキップモードという名前は、一般的に広まっている名前があるのか知らないので筆者が勝手につけた名前である。低難易度よりさらに下、ゲーム部分をスキップをしてストーリーだけを見るモードの事だ。
 商売として、プレイ人口を広める為には良い方法なのかもしれない。だが作品としてはどうだろう。嫌なら使わなければ良いだけ、というのが肯定派の良くある意見だが、それは個人のプレイスタイルの話であって、作品に対する評価とは関係ない話である。作品としてはスキップする、つまりゲームである事を自ら否定している時点で評価は当然下がるだろう。かといって、スキップを否定する事は、新規参入者や上手くない人を無視する事にはならない。
 ゲームを否定せずそれらの人に接する態度は「教える」という事である。ゲーム、つまり「遊び」は「学び」にかなり近い、というか同じだと筆者は考えている。基本を学び、応用し、遊びにまで昇華する事で初めてゲームは完成する(勉強は強制的に暗記させる程度で終始し、学び=遊びに到達できていない。故にひどくつまらない。本来の学び=遊びは面白い物なのに)。不慣れな人にいかに教えるか、これはゲームの本質であると思う。教える事をせずにスキップさせたり難易度を低下させるのは、単なる逃げだと思う。金儲けを優先し、ゲームの面白さは何かという問題から逃げた結果がカジュアルさや、依存やギャンブルで稼ごうとする代物に行きつくのだと思う。
 クリア報酬課金も筆者が勝手につけた名前である。最近、某有名ゲームにて本来ならクリアした時に開放されるアイテムやモードを現実の金を払う事でクリアせずに開放出来るものが発売された。別の言い方をすれば、公式有料チートである。いまやこんな物は珍しくないと思うかもしれないが、元から課金ゲーとして作られたものではなく、有名なCS機メインのゲームでは珍しい方だと思う。
 このクリア報酬課金もスキップモード同様、ゲームを否定するものだ。金で手に入るなら、そもそもなぜゲームをやるのだろう。使わなければ良いだけ、時間の無い社会人向けというお決まりの下らない擁護があるが、それが存在した時点でクリアする事に意味が無くなるのだ。金で金メダルが貰えるなら金を払おうが払うまいがその時点で金メダルに価値が無くなるのだ。メダルの為にやってない、そもそもそれに価値が無いというなら、クリア報酬としたことが間違いなのであって、最初から解放されていれば良いのだ。金を払わないと解放されない物にする必要はないし、そもそも価値が無いなら値段はつかないはずだ。金で解決できてしまう、或はしてもかまわない程に意味が無いなら、プレイヤーの社会的身分や時間のあるなしにかかわらず、そんなものには関わりたい人間等いないだろう。
 こんなものが発売されても話題にもならず、騒ぎや抗議や批判も起きない事にまず驚くが、この傾向はどんどん進んでいくだろう。他の項でも散々書いたが、所詮金儲けである以上、そこにあるのはただ損得のみであり、こんな手法が通用してしまうほどに幼稚な世界なのであり、つまりそこにゲームは存在しないのである。
 この事についてどこで意見が分かれるのかを考えるに、ゲームという物を作品と捉えるかサービスと捉えるかで分岐するのだと行き着いた。筆者は当然作品と考えている。作者の意向を理解したいと思っている。サービス派は自分が気持ちよくなれるものを用意してくれと考える。故に作品の意図を無視しても構わないと考えるのだと思う。

お勧めについて考える

 Steamにはインタラクティブレコメンダーという機能がある。要するに新たなおすすめ機能である。Steamのお勧めが全く機能していないゴミであるのはもはや周知の事実だが、これは今までとは少し違うようだ。
 少し話がずれるが、ある時期からValveはこの様な実験機能や、ライブラリ・ストアの機能改善をしている様に見える(上手くいっているかは全く別だが)。これは明らかにEpic Game Store(以下、EGS)に対抗しての事だろう。EGSは開始間もなくストア機能が充実していない。Valveはそこに目を付けたのであろう。つまり対抗馬が居なければ、一強状態はその状況にあぐらをかくのだ。健全な競争が行われることを望むばかりである。
 実際の機能の内容だが、ユーザー側で設定する項目は少なくシンプル。最大にニッチ側に振り、タグを指定できるのでインディーに絞り、期間を変更しながら色々試す。が、ほとんどは自分の知っている物ばかり。既にウィッシュリスト入りしてる物も多数(後にウィッシュ除外も出来る様になった)。日夜無名の埋もれた名作インディーが無いかと探し回っている筆者に死角は無かった、と言いたいところだが、全く知らない物も少しあった。何故勧めてきたか良く分からないという物も少なかったと記憶している。ほとんどの方は筆者の様に探し回ってはいないと思うので、これで無名な作品も日の目を見るか、と思ったが意図的にそういう使い方をしないといけないし、そういう事をする人は前からやっているはずなので効果は薄いと思われる。

 で、ここからが本題(笑)だが、実験段階の時は淡く薄く期待をしていたが、結局の所、この機能も他のお勧め機能と同じでライブラリやプレイ時間を元にしている以上、似たような物ばかり勧められるだけである。現在、というかかなり前からもはやこの機能は使っていない。
 勿論商売としては、似た物の方が売れるというデータが存在し、それが正解なのだろう。とにかく買わせて積ませれば良いと考えるのはある意味当然なのかもしれない。steamでは、似た物以外のお勧め機能としては、単に売れているというランキングを紹介するか、同じデベロッパーの作品、キュレーターのお勧めがある。
 だがはたして、これらは本当にお勧め機能として有効と言えるのだろうか。似た物は確かに好きになるかもしれないが、同じ刺激なのですぐ飽きるだろう。だから積むのだ。かと言って、嫌いな物をゴリ押ししても意味は無い。同じ開発だから好きになるかはわからないし、キュレーターは金品をもらって勧めたりレビューを書くものが混じっている時点であまり参考になるとは思えない。
 本当のお勧めとは、今までやった事ない、嫌い、無関心なジャンルの楽しみ方を提案し、発見させ、価値観の転換を起こし、新たな世界の広がりを感じるきっかけになってこそ機能を果たしたと言えるだろう。それは意外性という要素と共にやってくるはずだ。だがそれは自分の頭にない物を見るという事なので、嫌な物も見てしまう可能性を孕む。勿論、嫌だったものが好きになる事もあれば、その逆もある。いや、どんなことも起こりえるという事だ。分かり切った物だけに触れ、好きな物だけ見たり、人の嫌がる表現は排除すべきなどという態度では永遠に面白い物には出会えないと思う。そういった態度はただの子供である。嫌な物を嫌なままで、その苦みさえ味わい楽しめてしまう事だってできるのが大人であろう。それは自分を変える事でしか成し得ない。そういったとてつもなく濃いコミュニケーションは互いに信頼性や、学習意欲などが開かれたとても良い人間関係の上でしか発生せず、自動化された機械的な装置からは生み出されないと思う。

ゲームの賞について考える

 年末になると色々なゲームの賞が発表される。だが結局どんな賞も、売れた物・人気作が並ぶだけで全く面白みがない。独自の観点・評価軸で一年を振り返る物があってよいと思う。
 要するに賞はユーザーではなく開発者の為の物なのだろう。個人的には、UI、システム、チュートリアル、トレーラー部門を作ってほしい。これらはゲームにおいて重要な要素であるにもかかわらず非常に軽視されているからだ。また賞を作り議論が活発になればこれらの要素の業界全体のクオリティアップにもつながると思う。また、メディアやストアといった直接的では無いが、間接的にゲームに関わる物も批評されるべきだと思う。
 ゲームの賞で有名な物と言えば「The Game Awards」がある。ショーとして金がかかっていて派手だが、合間の新作発表の方が注目されたり、前身の物を含めて紆余曲折で今の形が有り歴史があるとも言えないのに、いつの間にか権威がある事にされているのは少し疑問に思う。色んなメディア・団体等の投票(日本のファミ通も)で決まるのはいいと思う。
 「Golden Joystick Awards」は、歴史は長い様に見えるが、こちらも紆余曲折で名前が残っているだけだ。ユーザー投票で重複OKの緩さにより組織票も簡単に行えるし、単に人気作が取るだけで面白みがないし、さらに募集も発表も、恐らく他より話題性を取る為だろうが、時期的に早すぎて全然その年の賞という気がしない。
 「D.I.C.E.Awards」も有名だが、選ばれる物に特徴が無く他の賞と変わり映えしない。そもそもアカデミー賞のゲーム版を目指しているからかゲームをゲームではなく映画的にとらえた賞が多い。Game Awardsにも言える事だがゲームを評価するなら上にも書いた通りゲームならではの要素に対する賞を作るべきだろう。
 IGNJのThe Game Awardsに対する記事を読んだ。賞よりも発表がメインな事等は私が書いた通りで殆どは納得できる記事だ。。インディーも大金、大人数で製作されたものを省くなどして絞る必要があると思う。だが、IGNJ内のGOTY記事ではインディー賞を「最前線で活躍していた」という理由で削除している。活躍していたのはインディーと言っていいのかわからない規模の作品も含む。また、発表がメインでゲームの賞など無意味なのを分かっているなら、自身自信を含めたメディアの賞をやるという発想はないのだろうか。つまりメディア側もどういう区切りで分けていいのか、どんな賞なら望まれているのか分からず迷っているのだろう。

ガチャ・課金の問題点について考える 社会問題編

 まず初めに挙げる点は、当たり前の事が行われていない事だ。それはつまり、明確なルールが存在しない事、情報公開が行われていない事、それらが正しく行われているか審査されていない事だ。
 日本でいえばCEROの様な自主規制団体が行うべきと思うが全く動く気配すら無い。年齢制限や課金上限は無い。射幸心を煽り過ぎたり、事実誤認させるような広告宣伝はやめるべきと思うがそんなルールも無い。情報公開が進めば、少なくとも発売前日に課金要素を発表するという暴挙に出た某事件の様な事は防げるはずだが、今も変わらず情報公開は進んでいない。
 2018年初頭、米Appleは自身のストアで確率表示を義務付けた。それにより大手のアプリもようやく対応したのだが、つまりそれまでは確率の公表すら行われていなかったのである。消費者に正確な情報を与えずに商売をする事が今後のゲームの発展に寄与するとは思えない。業界、国共に内部からでは無く外部から規制がかかるのは、この分野に甘い現状を露呈していると思う。パチンコはかなり厳密な審査が行われていると聞くが、ガチャは確率操作を仮にしていても審査が無いので誰も気づかない。この様にごく当たり前の事が行われていないのだ。
 一応書いておくが、このような商売法やギャンブルの存在自体を否定しているのではない。ルールを作り、情報を公開し、監視し、ユーザーが選択可能な状況を作る、つまり客に対して誠実な態度を取るならば存在しても構わないと思っている。
 なぜそのような状況なのかというのは、ゲームと混ぜ合わせてその境界を曖昧にし、それによりギャンブルとゲームどちらなのか分かり難くして、つまりゲームを隠れ蓑にして規制や社会の目から逃れる事が目的だからだと思う。混ぜられて曖昧にすることでユーザーの選択余地も無くなって行きゲーム性も侵食されているのだが、それについては後述する。

 次の問題点は価値感の崩壊である。ゲームをやるのにゲーム機/ゲーミングPCを買ってソフトを買って…、そんなのハードルが高すぎる、等と言う人がいる。一方でF2P(Free To Playの略。無料で始められるが課金アイテム等を売っている商売のやり方)のゲームに大金を課金する人もいれば、全く課金しない人もいる。F2Pでなくとも定価を払ってさらに課金を要求するものもあれば、もともと低価格だが課金要素の無い作品もある。ヒトモノカネをつぎ込んで作りあげたDLC(DownLoad Contentsの略。ゲームを拡張するアイテム・マップ・キャラクター・システム等がセットになった物)より、ガチャ・課金の方が儲けが出ているという記事も読んだ。ゲーム内では強いが製作費が安い課金アイテムの価値はどのように決めるのだろうか。その逆の場合はどうだろう。
 材料が高い、時間がかかる、特殊な技術が要る、多くの人が関わっている、そういった物が高価なのは理解できる。だが、その様な理由ではなく確率の設定によって本来の価値以上に想像上の価値を異様に膨らました物に金を払う事に、納得感がまるで持てない。価値の根拠に実体がない。
 ギャンブルやそれに類似する物だけが問題ではない。時短課金は金を払ってゲームをプレイしない事を買うという、筆者自身も何を書いているのか良く分からない物だ。不便にさせておいて課金を迫るという、ある意味脅迫的な課金形式である。一体何に対して金を払っているのか分からない。ユーザー獲得の為、F2P等でタダでばらまいた結果、金を払わない事が当たり前になってはいないだろうか。これはダンピング(不当廉売)そのものだ。
 この様に、本来の労力に見合った価値が設定されず、正当な対価が支払われないのであれば、物の価値が揺らぐ。タダより高い物は無いという、良く言われる状況そのものになっていると思う。おそらく、この問題で今後においても最も深刻な影響が在るのはこの部分だと思う。というか、この問題はもう取り返しのつかない所まで来ていると思う。steam等での投げ売りセールや、マリオランが高いと言われるのはこの事の証左であろう。
 この様な価値観の揺らぎが問題とされないのは、制作側からすれば「儲かるから」であるし、ユーザー側からすれば「どこかの誰か大量に課金をしてくれるおかげで自分はタダで(或は安く)ゲームができるから」であろう。だが儲かるのは価値観が完全に崩壊するまでの短い期間のみだ。極限まで本来の価値が薄められた状態が行きつく先は、音楽がそうであるようにサブスクリプションサービスであるだろう。もはや一つの作品には対価は払われず、一山いくらで買い叩かれるのである。少し前までシングルCDは2曲+カラオケで1000円で売っていた。今1000円あればひと月ではあるが世界中の数千万曲が聞き放題なのである。その結果、音楽はデジタルではなく現実のライブを中心にすることにシフトしたが、ビデオゲームはそれ自体がデジタルの産物であるがゆえにシフトできない。近い将来、小規模なインディーをはじめ多くの製作者に金が回る事は無くなると思う。

 次の問題点は依存性である。ガチャはネトゲから生まれた物だと思う。ガチャに限らずアイテム課金・月額課金・従量課金、どんな方法であってもネトゲはそこに居続けさせる事で利益を生む。ネトゲはアップデートにより永遠に終わらない様に作られた物である。つまり依存してもらってなんぼの商売なのである。ゲーム、ひいてはエンターテインメントは麻薬なのか。それは違う。一時的な逃避はしてもそれは次に備えるための力を蓄える休息であり、現実に強く押し返すバネの様な物だ。一方麻薬は現実には決して返さない。決定的に違うのだ。WHOがゲーム依存症を精神疾病として認定しようとしている記事を読んだが、以前からいつかは依存性が問題になると思っていた人は多いと思う。中毒・依存方向へゲームが進んでいくのは間違った方向であると思うし、この問題に関してはもっと広く議論があっても良いと思う。ゲーム全てに依存性があるとは思わないし、巻き込まれる形で本来問題の無い物まで規制されたり、業界全体が委縮したり、イメージダウンにならない事を願いたい。しかし、ゲーム依存だけでなくギャンブル依存も加わっている現状を見るに、近い将来、大規模な規制がかけられるのではと不安視している。

 次に、良くある課金の正当化について反論したい。開発費が高騰しているから云々というのは言い訳として成立していない。限られた予算の中で工夫して物を作ったり商売をするのはどの業種でも当たり前の事だろう。映画や服やラーメンを作っている人は資金が足りなくなったらガチャを作品/商品に取り入れるだろうか。ガチャ・課金だけがお金の問題を解決するたったひとつの方法だろうか。ゲームだけがなぜ自分の身の丈の中で工夫する事を忘れて、ゲーム性や客との信頼感を失ってでもそれらの仕組みを取り入れようとするのかわからない。しかもそれを開発側ではなくて客側の立場で言ったりするのはさらに意味が分からない。そんなに忖度をするのであれば値上げに応じないのは何故なのだろう。ガチャをやらずに工夫して製作費を安くあげている作品・会社はある。そもそも会社が利益を追求するのは当然なので、製作費に困っていなくてもガチャが儲かるならば導入するだろう。それとも「ガチャで儲かって資金難が解決したのでガチャをやめます」等という会社があるとでも思っているのだろうか。
 現実のガチャ・トレカと同じじゃないかというのも言い訳として成立していない。それらとは現実の物質が在るか無いかの差があり、それにより過剰さに大きな違いが出る。ギャンブルは遊びの範囲なら問題はなく過剰になった時に問題になるものだ。この差はとてつもなく大きい。現実の物があるという事は、それを作るのにも大きなコストがかかり、それらを全国の小売り店などに運び、在庫の管理をし、売れ残ったら損になるし、物質であるがゆえに大量に保管しておく事も出来ない。作る側、売る側だけでなく、買う側もそれは同じで、物理的な制限が必ず出てしまう。一方デジタルはそれらが無く、無制限に作る事、売る事、買う事が出来てしまう。在庫管理も物理的な制限もない。この物質が無いという性質は、とても過剰になりやすい構造であるのが問題なのだ。さらに、現実ガチャの確率1%とデジタルガチャの1%の意味が違うのは小学校の算数程度の話のはずだが全ての人が理解しているだろうか。前者は最低100回引けば当たりが出る(確率100%)のだが、後者は100回引いても当たる確率は約63%であり、無限に引いても確率が100%になる事は無い。あえてガチャという言葉を使う事で現実ガチャと混同させようとしているのではないかと邪推してしまう。
 ゲームに影響しない見た目だけなら良いというのも言い訳として成立していない。見た目もゲームの内だし、当然見た目もゲームに影響する。ゲームの価値を見た目で判断したことは無いのだろうか。解像度や、表現規制によって血が緑になっても見た目だけの問題だが、これらに不満を覚えた事は無いのだろうか。キャラがアニメ風か実写風かは単に見た目だけの問題だが、絵から先入観を持ったことは無いだろうか。そもそも本当に影響しないのなら、何故欲しがる人がいるのだろうか。上記にも書いたが、結局のところ見た目だけならOKとする人は(それも含めてガチャ・課金を肯定する人は)、自分の代わりに誰かがお金を多く払ってくれるので、自分の負担が少ない事を理由に肯定していないだろうか。金で解決するP2W(Pay To Winの略。勝つ為の課金の事)をフェアではないと批判するのに、自分が得する面においてはフェアでない事を肯定するのは都合が良すぎると思う。それにそもそも、何をもってゲームに影響しないとするかをよく考えるべきだろう。あえて曖昧にする事で少しずつその範囲を広げてきた事に気づかずに肯定するのはおかしいと思う。時短課金は良い例で、直接「勝ち」は得られないが、「勝ちを速く」得られるという間接的なP2Wにする事で何故かほとんど批判されない。これは只の子供だましだろう。

 では、これらの商売が一般に普及したのはなぜだろう。上記の様に誰かの犠牲により自分は得をするというのも一つの理由である。他にも、どんな物でもそうだがそれを好きでやっている人は極少数だからだろう。ゲームユーザーと言っても幅は広い。ほとんどは、単なる暇つぶしや、他人とのコミュニケーションの為の道具としてしか思ってないライト・カジュアル層で、ゲームに対して特別な感情は無い。そういう人にとってはゲームがギャンブルに浸食されていく事に何の考えも持たないだろう。F2Pならばタダで遊べるし、金で勝って何が悪いと言う人もいるだろうし、そもそもギャンブルがしたくてやる人もいるだろう。日本で言えば、パチンコが一般的に存在する土壌であり、それらのユーザーがソシャゲに流れてきているだけとも言えると思う。ライト・カジュアル層が増える事は、商売的にも層の拡大と言う意味でも良い事ではあるし、技術の向上と幅を広げる為の施策はプレステ登場以降今も続く、ゲームの枠を広めていく流れから来るものであると思う。だがそれは、現在から考えればゲームはゲーム性がメインの要素ではなくなる事を意味していたのだと思う。
 結局の所、ガチャ・課金は儲かり、面白いと思う人は沢山いて、批判する人は少ないのだから広まる事はあっても無くなる事はないだろう。国自体もカジノで儲けようとしているのだから規制がかかる事もないだろう。運を天に任せる会社は元々花札を販売していた訳で、そういう意味では元に戻っただけなのかもしれない。海外ではスキルゲームと言って、ギャンブルでありながらゲームの様にプレイヤーのスキルが一部適応されるような物も認められ作られているという記事を読んだ。ギャンブル人口の減少により、ギャンブル側からゲームに近づいていく方向らしい。現在もそうだがゲームとギャンブルの区分けはもっと曖昧になっていくだろうと思う。

 海外では某ゲームを切っ掛けにこの問題で騒ぎになっているようだが、日本では「無料で遊べちまうんだ」との迷言を残した某ゲームの件があっても結局一部ネットで騒がれた程度で何も変わらなかった。この分野で日本が世界をリードしても少しも嬉しくない。欧米ではなぜか、本質では無いルートボックス(ガチャの事)はギャンブルかどうかという議論になっているが、そこでは最終的には金にならないからギャンブルではないという結論らしい。RMTを知らないのだろうか。国によっては禁止になった所(ベルギー、オランダ)もある。仮にギャンブルでなくとも、確率やアプデで価値が変動する物を売る事が商売として正しい事なのだろうか。ユーザー間でランダム性アイテムを売買する事や、アイテムを賭けたオンラインギャンブル等の話を記事で読んだが、今後どうなるか気になる問題である。

ガチャ・課金の問題点について考える ゲーム性編

 結局この問題で筆者が言いたい事は単純で、ゲームがつまらなくなる物を入れないでくれ、という事だけだ。
 ガチャ・課金物がある事自体は別に構わないし、禁止しろとも、製作者やユーザーを悪く言うつもりもない。ただ客に対して誠実な態度を取ってほしいだけであるし、ただそれらとゲームを混ぜないで欲しいだけである。両者は別物である。やらなきゃいいと言うかもしれないが、金が集まるところに企業は注力するので、結果的に筆者自身が面白いと思う物が駆逐されてしまう可能性があることを心配しているのである。
 なので、ここからは上記の様な社会的な問題ではなく、ガチャ・課金がゲーム内容や面白さへどの様に影響しているかについて書きたい。一プレイヤーとしてはむしろこちらの方が重要な問題である。また、ここで語っているガチャ以外の課金はDLCのようなゲーム内容を拡張するものの話ではない。

 まず初めに、ゲームとギャンブルを組み合わせる事について考えてみる。
 ゲームは自分で操作するのが魅力の物であるし、その部分が他のエンタメとの違いでもあると思う。競馬でいえば馬に賭ける人ではなく、馬を操作する騎手にあたる物だ。そして、騎手が馬券を買えない様にそれら2つは同居できない。当たり前だがギャンブルは結果をユーザーが操作出来ない。出来たらイカサマになるのでそれを疑われないように馬券は買えない。つまり両者は明確に共存できないのだ。この「自分が作品に介入できる」というゲームに於いて最も重要な部分を金で明け渡している時点で、もはやそれはゲームではない別の物と筆者は考えている。
 次はP2W的課金についてだが、結局はこれも同じ事が言えて、自分ではなく金で解決、金でチート(ズル)をしているだけでしかない。当然、チートは認められず批判の対象になるはずなのだが、同じチート課金でも時短課金は余り批判されないのは何故だろうか。この事について考えてみる。
 時短課金は金を払ってプレイしない事を買うという何とも不思議な行為である。本来楽しいはずのプレイ時間を金を払ってでも減らす理由は何であろうか。無くしたい無意味な時間なら開発者はなぜ入れたのだろうか。金を払わす為にゴミをくっ付けただけではないのだろうか。良く言われる「時間の無い社会人向け」ならば、それ以外の人は無駄な時間を過ごしても良いというのだろうか。ストーリーだけ楽しみたいなら(そもそもゲームで何故それを求めるか置いといたとしても)、今までなら最初から入っているイージーモードで出来たことではないか。現実の金で、ゲーム内の世界の出来事が変化して没入感などあるだろうか。そんな現実の金によって体験が変わる世界観に感動はあるのだろうか。バランスの問題というなら基準はどこにあるのだろう。課金前提?無課金前提? 儲けたい以上、金を払う事が最適解になるのは必至である。直接的に金で勝ちを得るか、間接的に得るかの違いでしかなくチートである事に変わりはない。金持ち有利のフェアではない仕組み上で攻略する意味はあるのだろうか。疑問ばかりが浮かぶ仕組みである。

 次に、ギャンブル的手法を取り入れた事の影響を考える。
 当然だがギャンブル部分に儲けが集中するし、ギャンブルはそれだけでコンテンツとして成立している。商売として利益を追求するのであれば他の部分はむしろ不要になる。その方がカジュアル化し参入障壁が減るのでユーザーも獲得し易い。最終的には、主従逆転してギャンブルがメインの要素となるだろう。パチンコ番組の様に、ガチャを引く実況動画が人気な所を見ると、既にそうなっているとも言える。そして課金機会を増やす為に全ての要素が長期化、作業化されていく。辞めさせない為の様々な動機づけを行う仕組み(ログインボーナス、デイリーミッション、それに対する限定の報酬品等)や、他のプレイヤーを引き込む/引き留める取り組みも行われるだろう。簡単に言えばネトゲ化すると言う事だ。F2Pにおいては、金を払わないと○○が出来ないという仕組みにするとそこで辞める人が多いので、途方もない時間はかかるがいつかは出来るという仕組みにするというのが定番になっている。そうすれば、途中で根が尽き課金するかもしれないし、たとえ金を払わなかったとしても課金者側にとってのやられ役やプレイ人口の増加には役立つ。つまり、これらの施策は一言で言えばずっとそこに居続けさせる、つまり依存性を高める方向に向かうという事である。これらに関しては今までも存在したが、これからは「Game as a Service」という物を掲げ積極的にやっていくと大手の会社が発表している記事を読んだ。

 他に影響が在る部分として対象者が限定される事が挙げられる。儲けに大きく関与する課金者は少数である。全体のプレイヤー数の増減はそれほど意味を持たず、最悪の場合でも大量課金者さえ繋ぎ止めておけば儲けが出る。つまり、その少数の為にゲームは作られることになる。またそういう高額課金者がさらに増え易い構造にしていく為にゲームは作られるだろう。
 次に、金をかけている以上、悪い意味での真剣さが生じて遊びが減る。もちろん全てではないが、金がかかっている分、気楽にプレイし難くなったり、日課の様になったり、今までの投資を考えて辞めるにやめられなくなったりという事も考えられるだろう。
 その他にも課金システム導入によって、無課金、課金プレイヤー間での争いや、コミュニティの分断が起きたり、より課金してもらいたい制作側とプレイヤー間で争う構図になったりする。一体誰がプレイヤーなのだろうか。

 結局の所、ゲームをより面白くする為ではなく、金儲けの為に課金システムは導入されている。仮にギャンブルとして面白くなったとしても、そもそもギャンブルがやりたい訳ではない。金を払う事自体をゲームシステムに組み込まなければならないので、製作側で言えば、ただでさえ面白いゲームを作るのは大変であるのに更なる困難さを生むだろうし、プレイヤー側で言えば自分が課金勢か無課金勢かは関係なく、その仕組みが入っている時点で、常に金の事を気にしながらプレイしなければならなくなり、とても白けるのである。
 だからと言って買い切り型やゲーセン型が最善策と言う気はない。前者は、発売後でないと本当の中身が知れないので事前情報で煽る、中身より外見重視、売り逃げ傾向を持つ。後者は、回転率を上げるための難易度上昇や、仕組み上の理由でジャンルが絞られる傾向を持つという問題点がある。結局、どんな方法であってもマネタイズがゲームシステムに影響をもってしまう。だが、お金の為のゲームではなく、面白さの為のゲームになるように、出来るだけお金とゲームシステムを離すべきである。

 以上の様な理由で筆者はガチャ・課金はゲームを否定し、つまらなくする物と考えている。お金とゲームシステムがくっ付き過ぎていて本来の形を維持できなくなっている。それをゲームとは思えないのである。それと同時に、自分はかなり狭い意味でゲームを定義しているのかもしれないし、固定概念を持ち過ぎているのかもしれないとも思う。ガチャ・課金問題を考える事は「ゲームとは何か」を考えている事と同じであると思う。
 最後に関連した事について書きたい。筆者はゲームは子供向けの物ばかりであり大人向けの作品が必要と考えている。それは単純に作品の質の向上、層の拡大だけではなく、やたらと悪者扱いされる事や、子供向けだからの表現規制や、大人になったら卒業する下らない物として扱われる事の解決になると思うからだ。しかしながら、現実を見ると大人向けのゲームとは「ギャンブル」で答えはとっくに出てしまっているのではないかと思う。子供ほど情熱の無い状態でも誰でも参加出来る参入障壁の低さ、大人にしか出来ない金をかける事でのスリル。それは依存症が出てしまうほどの魅力を持つ。もし、大人向けのゲームを存在させたいならこのギャンブルに勝たねばならない。あまりにも圧倒的すぎてそれは無理なのかもしれないと思ったりする。

ゲーム障害について考える

 WHOが正式にゲーム障害を国際疾病に正式認定した。問題が無ければ2022年1月から施行されるそうだ。ついにここまで来たか、というのが率直な感想である。ゲームはアルコールやギャンブルと同じ様な扱いになるのだろうか。
 筆者は医学に詳しくないので専門的な事は分からない。だが全てが分からない訳でもないので、筆者なりに考えてみる。
 まず初めに書いておく事は、依存症で苦しんでいる人がいて、そういった人が救われる様になるのは当然問題ない。正しい調査・研究が行われて、正確な情報が広まり、上手いゲームとの付き合い方が構築されれば良いと思う。恐れているのは間違った情報が広がったり、必要以上に不安を煽ったり、イメージの悪化や、ゲーム批判が拡大する事だ。他にも教育する事やリテラシーを高める事ではなく、規制・禁止をして、見ないふり・存在しないふりをする事で解決した気になるだけの無意味な方策がとられる事も不安である。当然そんな方法では解決しない。
 依存症はただ単に個人の責任で起きる事ではなく、その人の生活上に重大な問題があり(貧困、差別、暴力等)、それらから逃避する為にのめりこむのだという。なので依存している物を取り上げても、その人個人が抱えている問題を解決しないと意味が無いのだと、薬物依存や、ギャンブル依存の専門家が両方ともがラジオで語っていたのを聞いた事がある。
 個人が抱えている問題は当人だけの努力では当然解決できない。周りの人や環境の影響は大きいし、それらも変わらなければならない。上の項にも書いているが、ガチャ・ルートボックス等のギャンブル要素と、MMORPG・ソシャゲ等の終わりがないネトゲ。この2つに関しては、全てとは言わないが明確にユーザーの金や時間を必要以上に使わせようとする物があるのは確かだ。今までも何度も問題になってきて、その度に変われるチャンスがあったにも拘らず、結局具体的な対策を取らずに放置してきた事は、ゲーム障害の登場と全く無関係だと思えない。製作者側だけでなく業界全体として、徹底的な透明性の確保、情報公開をし、ユーザーが正確な情報で判断できる環境にすべきだし、またこのような物とどう付き合っていくべきか色んな立場の人を交えて議論し、学ぶ場が必要だと思う。前述の様に、専門家ではないので、これらのゲームがどれ位ゲーム障害に影響するのか、他のタイプのゲームではどうなのかは分からないので、そこは調査・研究を待ちたい所。
 放置されてきた理由は、メディアは勿論、開発者や客も声を上げて来なかったからだと思う。メディアはスポンサーの忖度をし、開発者は上司の顔色を窺い、客は自分の利益しか考えなかった、つまりすべて自らの保身しか頭にないのである。ゲーム障害関連のニュース記事の反応は少なく、コメントもあまり付かない。付いても、真剣にとらえていなかったり、単なる好きな物擁護の為の言葉が並ぶだけだったりする。業界関係者からの発言もほぼ無く、普段SNSで余計な事まで喋るような人間もこの件については意見を発表したという話は聞かない。メディアの方も相変わらずで、ほぼ触れずにニュースを報告するだけのメディアが未だ存在する。取り上げたとしても、子供の教育と疾病の話をごっちゃにしていて、専門家でもないのに依存症について適当な事を言ったり、又そのコメント欄でも同じように適当な意見が溢れていたり、素人の意見を集めて議論させようとするものまであった。そもそも、ゲーム症、ゲーム障害、依存、中毒等の言葉が適当に使われていて、それぞれどういう違いがあるのかなど、基本的な説明すらなかったりするのが現状なのである。
 では専門家ならまともなことを言っているのかというと、ゲーム障害自体に疑問を持つ人がいたり、あえて大げさな数値を出して不安を煽る人がいたり、科学的な根拠なしに別のタイプのゲームを勧める様な人もいる。不安を煽るのは当然やめて欲しいが、ゲームを擁護する側だからといって根拠不明の物を肯定する気にはならない。この問題に限らず、フェイクやデマは世の中にあふれている。正確な調査・研究が行われていない現状で、おかしな情報ばかりが世の中に広まるのは避けられそうもない。
 これを機にゲームバッシングが再燃すると誰もが予想していただろうが、早速、香川県議会がネット・ゲームを規制する条例案を検討しているというニュースが出た。草案を見てみたが、昔からよくある雑な批判で根拠にも乏しい。なぜかすぐにネットへの批判だけを取り消したり、これまたなぜかゲーム障害で言われている事と関連している様で、実際は違う事が書いてあったり、カジノを推進しておきながら射幸心を批判していたりする。だが結局の所そんなことはどうでもよく、こういった意見を発表するだけで数多くいるゲーム嫌いの人を釣り上げる事が出来ると踏んでの、よくある票集めだと思う。政治家というのは、オリンピック閉幕式でマリオを演じたり、ゲームを単なる政治アピールのための道具としか考えていないのだろう。
 もし実際に規制が掛かるとしたらどんな物になるだろうか。アルコールやギャンブルを参考にするに、年齢や時や場所に制限がかかるかもしれない。税金がかけられるかもしれない。そしてそのような事態になったらどんな事が起きるだろうか。今、ゲーム業界はeスポーツを盛り上げようとしているが、障害と呼ばれる物に投資したりスポンサーになる企業は激減するだろう。そもそも、制限がかかればeスポーツだけでなく、業界全体の規模が縮小されるし、特に子供は規制が強いと考えられる為、新規参入者が減る事にもなる。縮小どころか倒産する会社も現れるだろう。さらに当然だがイメージの悪化は避けられない。今でも、ゲームは色眼鏡で見られる事がある訳で、世間からの目はさらに冷たくなるだろう。規制する側は必ずしもゲームに詳しい人とは限らない。ゲームはひとつの表現形態でしかなく、その中に色々な物があるのは当然だが、頓珍漢な規制により関係ない物まで巻き込まれるかもしれない。禁止するとか、今のままで良いとか単純な二元論では無く、ゲームが今後も文化として発展していくために社会とどう付き合っていくべきか、まともな議論が行われる事を望む。
 最後に、最近聞いた話をしたい。パンとサーカスの例え話にもあるように、馬鹿で貧乏な民衆を黙らす為に娯楽が使われるという話だ。賢くて金を持っている人間は、より金を独り占めにする為に社会的なコストを下げたい。だがそんな事をしたら民衆の不満が蓄積し、爆発を抑えるために膨大なコストがかかるし、爆発してしまったらも自分たちの地位も危ない。ではどうするか。自分たちに批判が来ないようにする為にサーカス、つまり娯楽をばらまき、民衆の目をそらすのだという。つまり、そうなるような政策を支持するのだという。この話でのサーカスにあたる物は、麻薬化していくゲームその物ではないかと考えた。ゲームはそんな事に利用されるただの麻薬か、それとも誇るべき文化か。ゲームは、今その岐路に立っていると思う。
    inserted by FC2 system